土器・土偶は「再生のシンボル」
「縄文人の心」を読む
日本考古学協会理事 大島直行氏に聞く
日本の縄文時代が国内外から関心を集めている中、日本考古学協会理事で前北海道考古学会会長の大島直行氏は、「縄文人の世界観」について独自の視点で読み解き、縄文人の精神的基盤には再生思想があり、土器や土偶などの遺物は再生のシンボリズムとしてレトリカルに表現されたものだと主張する。今年9月に『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか~墓と子宮の考古学』(国書刊行会)を刊行し、縄文人の世界観について新象徴考古学を提唱する大島氏に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)
新象徴考古学で新風
今年9月に『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか~墓と子宮の考古学』を出されましたが、この本はどのような意図があったのでしょうか。

1950年北海道生まれ。札幌医科大学客員教授。日本人類学会評議員、日本考古学協会理事、北海道考古学会会長などを歴任。医学博士。著書に『対論・文明の原理を問う』『月と蛇と縄文人』『縄文人の世界観』などがある。
2014年に『月と蛇と縄文人』(寿郎社)を刊行しました。現在、第5刷、多くの方がお読み下さっていることを嬉しく思います。そこでは、縄文土器や土偶などの造形のすべては“再生のシンボリズム”に根差し、その表現型のすべてが“レトリック”であると論じました。考古資料をそれらの方法で丁寧に観察していけば、容易に理解できると説明。同書には大きな反響がありました。新しい視点での考古学に対して好意的に受け止める人もいれば、「都合の良い所だけを取り上げて理論を構築している」という批判もありました。
そこで数多くの遺物や遺構、遺跡を取り上げ、それらの“レトリック”を一つ一つ紹介していったのが2016年に出した『縄文人の世界観』(国書刊行会)です。
それでも「従来の『考古学的文脈』を無視しているのではないか」との指摘を受けたものですから、それに応えて今回出版したのが『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか』です。
ここでは129点の論考を紹介しながら、日本の考古学界がこれまで支持し、用いてきた編年などの手法では、縄文人の造形理念および行動はどうしても読み解くことができず、むしろ、縄文人が自然や宇宙を「再生のシンボリズム」で捉え、それらをレトリックとして表現したと見る方が論理的に読み解くことができると提示したわけです。
考古学的文脈という言葉が出ましたが、日本の考古学はどのような歩みを続けてきたのでしょうか。
日本が太平洋戦争で負けることによって、それまでの神話を中心とした考古学は機能しなくなってしまいました。それに代わって登場したのが、型式学や編年学に裏打ちされた考古学で、今でも日本考古学の主流となっています。
例えば、全国各地で発見される縄文土器について言えば、それらは形と文様の組み合わせによって「型式」としてまとめられ、地域的な広がりと時代的な変遷が体系的に整理されていきました。
それは、「編年」と呼ばれ、1万年の長きにわたって縄文時代の時間的物差しのような役割を果たしてきましたが、こうした型式・編年研究では出土した遺跡や遺物の新旧は明らかになっても、なぜ縄文土器が形式としてまとまりを持ち、それが移り変わるのか、また、縄文土器の形と模様にはどのような意味があるのか、残念ながら分からないのです。
今回『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか』を刊行しましたが、日本の考古学者ではこうした疑問を表立って発することはありません。従来の考古学の方法では人の心、縄文の精神性を読み解くことが難しいからです。
そうした日本の考古学に対して、私はあえて「再生のシンボリズム」に焦点を当て、人類学や神話学、脳科学、宗教学などの視点を取り入れて総合的に縄文の世界を読み解こうとしたわけです。
『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか~墓と子宮の考古学』というタイトルも奇抜な感じがしますが。
1冊目の『月と蛇と縄文人』でも指摘しましたが、土器や土偶、竪穴住居など縄文人が造った道具や施設のデザインは、ことごとく「再生のシンボリズム」という彼ら独特のものの考え方が基盤になっています。
つまり、彼らの心的思考は「再生」に主眼が置かれ、その象徴(あるいは不死の象徴)として「月」や「女性=子宮」をレトリカルになぞらえていきました。
実に多くの道具や施設に対して形、色、模様、数をふんだんに駆使しながら表現しています。とりわけ月という存在が縄文人の再生や誕生、思考に関わっていたことを確認することができます。また、縄文人の「墓」について考えた場合、彼らが現代の私たちと同じような考え方をしているというのは経験に基づいた前提あるいは仮説だと分かります。
よく考古学者は、縄文人が「先祖崇拝」をしていたと言いますが、それだって後の仏教や儒教に基づいた世界観の影響を受けた考えであり、縄文人が祖先という観念を持っていたかどうか、あるいは死者を崇拝していたかどうかは定かではありません。
彼らの掘る穴がただの「墓」ではなく、死者のよみがえりのための場所として用意されたものだとしたら、そこには現代人とは異なった心情を推し量ることができます。「なぜ人は太古の昔から死者を葬るのか」、その根源的な疑問に対して、本書では、心理学、文化人類学、民俗学、宗教学の助けを借りながら考察を深め、周堤墓や盛土遺構など大地に造られたさまざまな施設さえも、再生のシンボルである子宮を表現していることを明らかにしました。
そのことを検証していくことで縄文時代に息づいた彼らの再生への思いを読み解いていこうというのが本書の目的です。シンボリズムという方法論を使えば、死者を穴に埋めた縄文人の「心」を読み解くことが可能だと私は考えます。
縄文人が持つ再生思考をシンボリズムとレトリックで表現したと読み解くのは、まさに新象徴考古学と言えると思います。そこで4冊目も近々出版する予定だと聞いていますが。
来年、『縄文解釈論』という題名で刊行を予定しています。縄文時代は1万3000年続き独自の文化を形成しました。狩猟採集社会が1万年以上続いた文化は縄文時代しかありません。争いもない時代だったことを近年の研究データは示しています。
そうした縄文人の世界観を理解することができれば、存亡の危機に陥っている人類に大きな示唆を与えることは間違いありません。





