無宗教化社会でいいのか
簡略化する葬式、お坊さんは発信を
浄土真宗本願寺派称讃寺住職 瑞田信弘氏に聞く
家族葬など葬式の小規模化、簡略化が進み、社会全体の無宗教が進んでいるのが最近の風潮。ネット社会で宗教儀式である葬式もビジネス化し、江戸時代以来の共同体を支えていた寺檀関係も危うくなっている。宗教にとって危機の時代にお坊さんはどう発言し、行動すればいいのか。香川県高松市にある浄土真宗本願寺派称讃寺の瑞田信弘住職に伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
業者主導で薄まる宗教性
アイデアで逆境跳ね返せ
葬祭場が増えています。

たまだ・のぶひろ 1955年高松市生まれ。大学卒業後、公立学校教師になり、その後、飲食店を経営。98年、父親の死去に伴い称讃寺第16代住職に。一般社団法人「わ ライフネット」代表理事。著書『ただでは死ねん』(創芸社)。
葬儀・葬祭を行うのに公的な資格などは必要なく、国や地方公共団体の許認可や届け出も不要ですから、誰がどこで始めてもいいのです。
ただ、市などの自治体が経済的に恵まれていない市民に対し一般よりも低価格で行う「市民葬」を行う場合には、自治体で指定された葬儀社に限られます。霊柩(れいきゅう)車や寝台車などで遺体を搬送するには、陸運局でいわゆる緑ナンバー登録が必要になります。
葬儀を担当する人には、厚生労働省の技能認定である葬祭ディレクターなどの民間資格はありますが、なくても業務はできます。実際、現場で実務を担当する人の多くはパートです。
日本の葬式は結婚式の形式を10年遅れでなぞっていると言われます。昔は結婚式に大金を掛け、どんちゃん騒ぎをするのが多かったのですが、最近は小規模になり、出席者は親族や親しい友人だけ、会費制の式や披露宴も増えています。その傾向が葬式ではいわゆる家族葬で、参列者の数も減っています。
結婚式のいいところは、神前結婚なら三三九度の杯を交わす式典と、結婚したことを公にし、祝ってもらう披露宴とが分かれていることです。ところが葬式では、葬儀・告別式という言い方もしますが、普通はまず通夜があり、翌日に葬儀があり、遺骨が帰ってくると初七日の法要があります。その、どの部分が宗教儀式で、どこが世俗行事かの区別がはっきりしていません。
宗教的な葬式の意味は?
仏式では故人が仏になるための、神式では神になるための儀式です。
仏式の葬儀の形式は、修行の途中に亡くなった僧を仏にするために整えられたもので、そうなった証として戒名(法名、法号)を授け、香を焚き、仏の心得を読経して来世に送る(引導を渡す)のです。
西本願寺では、ほぼ毎日「帰敬式(おかみそり)」という儀式が行われています。儀式用の剃刀(かみそり)で頭をなでて象徴的に剃髪(ていはつ)し、念仏を拠(よ)り所に生きる門徒であることを誓う儀式で、門主から法名を拝受します。生前に受けるのが望ましいのですが、その縁がなく臨終を迎えた故人に対しては、代わりに住職が法名を授与します。
毎年、パシフィコ横浜で葬儀業界のイベント「フューネラルビジネスフェア」が開催されています。
2040年には年間130万人が亡くなるとして、業界は活況を呈しています。
地域差はありますが、昭和の終わり頃まで、葬式は自宅で行うのが一般的でした。近所の人たちが仕事を休んで手伝い、遺族に代わって役所の手続きやお寺との相談、祭壇の準備から、女性たちは食事の用意など一切を担当していました。
その頃、葬式の大変な部分を手助けする葬儀社が生まれ、祭壇や会場の設営など自宅での葬式を近所の人たちと共に手伝うようになりました。その後、自宅での葬式が大変なことから、お寺や公民館で行うようになり、一部今も続いています。
その後、各地に葬式用の会館が建設されました。自宅葬に比べ費用は掛かりますが、地域の人たちの負担が減るので、会館を利用する率が増えてきます。葬儀社ではお金を積み立て、将来の葬式を請け負う仕組みもできました。それが成功して規模の大きな葬儀社が生まれました。
自宅で葬式をしていた時代は、葬家と旦那寺が相談しながら進め、葬儀社はそれに従っていたのですが、葬儀社の力が強くなると、葬家は葬儀社と相談するようになりました。お寺には葬儀社から連絡がきて、お坊さんはその時刻に行ってお経を上げるだけになっています。今のような状況が進んでいくと、葬式の意味がますます失われていくように思います。
東京では直葬が4割ほどになっています。
経済的な事情から、葬式もしない、仏壇もお墓も買わないという人が増えています。そうなると、お坊さんそのものが困ることになります。家族葬を勧める葬儀社のやり方は、葬祭事業自体を細らせます。イオンのお葬式やアマゾンのお坊さん便は地方でも広まっています。
業者主導の流れが進むと、葬式の宗教的な意味合いがますます薄くなり、寺檀関係が壊れてしまいます。最終的には、葬式はしなくていいとなるでしょう。そうなって困るのはお坊さんと葬儀社なのに、両者ともその流れに加担しているのが現状です。
少子高齢化で寺も消滅、無住化が進んでいます。
京都新聞が仏教教団13宗派を対象にアンケート調査をしたところ、末寺総計6万2600カ寺のうち無住・兼務・代務状態が1万2964カ寺で2割強にも上りました。原因は地域の過疎化や信仰心の薄れ、住職後継者の不在などです。
先日、私の寺で30~70代のお坊さん17人が集まり、インターネットの勉強会を行いました。30~50代にはインターネット検索は当たり前ですが、50代後半以上の多くは、パソコンは苦手、スマホは持っていないという人が大半です。
いろいろな意味でお寺は今、逆境の時代です。しかし、逆境の時こそ、それを跳ね返すアイデアや連帯が生まれるものです。私は、知人のお坊さんをはじめ弁護士や医師、司法書士、税理士などの専門家と一般社団法人「わ ライフネット」を立ち上げ、終活の個別相談に応じたり、終活セミナーを開いたりしています。全国のお坊さんに元気を出してもらいたいですね。