憲法改正は主権回復の一歩
国の主権とは何か
歴史探訪ゼミナール主宰 佐藤義信氏に聞く
近年、わが国を取り巻く環境が慌ただしさを増している。とりわけ、北東アジアにおいては北朝鮮の核弾道ミサイル開発や中国の尖閣諸島への領海侵犯など、わが国の主権を脅かす事件が相次いでいる。一方、安倍政権は憲法改正を視野に日本の安全保障の体制づくりを進めているが、森友学園や加計学園問題で支持率を低下させている。ここでもう一度、「主権」に焦点を当て、日本の進むべき方向性について歴史探訪ゼミナール主宰の佐藤義信氏に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)
占領下の傷、いまだ癒えず
歴史とりわけ西洋史を勉強するとき、「主権」が大きなテーマになります。主権の概念をどのように考え、捉えるべきなのでしょうか。

さとう・よしのぶ 昭和19年、満州生まれ。昭和43年に日本大学大学院法学研究科を修了した後、北海道の道都大学教授として長年教壇に立つ。専攻は私法学。現在は北海道立紋別看護学院非常勤講師。月形刑務所・篤志面接委員。
「主権」について話す前に、「主権回復の日」というのはご存じだろうか。実はこの日は、第2次安倍内閣が発足した翌年の2013年、4月28日を「主権回復の日」と制定した。4月28日としたのは、その日がサンフランシスコ講和条約の発効日にちなんでのこと。ただ、この日を「主権回復の日」として認識している国民はどれだけいるだろうか。少ないのではないかと思う。
それでは、2013年に4月28日を「主権回復の日」と定めた意義をどのように捉えていますか。
主権を回復したということは、それまで主権を失っていた期間があったということ。すなわち、太平洋戦争で負けてポツダム宣言を受け入れ、それから52年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効まで日本は主権を持っておらず、占領軍(進駐軍)が日本統治の実権を握っていた。日本が主権を失っている間は、日本政府による新しい国づくりなどできるはずもない。占領軍から憲法まで押し付けられる。米国をはじめとする占領軍としては日本が将来、力をつけ過ぎても困ると思ったのか、教育政策、食糧政策など「日本人を骨抜きにしてしまう」洗脳政策が進行していった。もちろん、「米国に占領されて良かった」という人もいる。確かにソ連(当時)に占領されるよりはましだったが、それでも良いことずくめではなかった。占領下の時代に「日本人が日本人としての誇りを失った」という大きな傷が、いまだに癒えていないからである。
安倍総理は13年4月28日を「主権回復の日」とした。戦後70年余を経た今日、日本はいまだ主権を回復していないというのでしょうか。
主権回復の象徴的なものとして憲法がある。憲法改正は長い間、自民党の綱領にもうたわれ党是になっている。歴代の自民党保守政権が望んできたが、いまだ実現できていない。安倍首相は何としてもやり遂げたいという強い意欲を持ち、また国民の期待を背負って登場したと思う。従って、政権について早い段階で教育改革など、なし得ることは次々に行っていった。
第1次安倍内閣の時は体調不良で挫折したものの、第2次安倍内閣以降は、経済政策から入り、憲法改正に向けて着々と地盤をつくり憲法改正に臨もうしている。20年の五輪までに第9条の改正など大きな目標を打ち出しているのを見ても、本人の意欲が相当大きいものだとうかがい知ることができる。ただ、そうした中で森友学園や加計学園などで支持率を下げ、これらが原因で、もし憲法改正まで至らないとすれば、これまでの歩みが一体何だったのか、という失望に変わるだろう。それだけに安倍政権にはもう一度持ち直してほしいという思いがある。
ここで主権の概念についてですが、主権という概念を読み解いていく際に、西欧史への理解が不可欠になりますね。
国家観と主権国家とは深くつながっている。主権の認識がきちんとできていないと、国家観そのものが弱くなってしまう。確たる国家観を有していないと国際関係でも立ち位置が定まらず、その国の果たすべき役割を遂行できないばかりか、国家間の信頼を失う事態に陥ってしまう。その点で安倍政権の外交政策は高得点をあげてよいと思うが、何よりも国民がしっかりと主権意識、国家観を認識しているかどうかが問題となる。
西欧史の中で国家主権体制が確立するのは、最後にして最大の宗教戦争である「三十年戦争」の講和条約、すなわち1648年のウエストファリア条約を起点としている。
ところで主権という概念を打ち立てたのはフランスのジャン・ボーダンであった。彼のいう主権とは、国内的には諸侯よりも王権が最高の地位にあり命令権を持っていること。同時に、王権は対外的には独立の権力を有しているとした。つまり、一国の王はローマ教皇からの干渉も受けるものではないということの“認証”を与えたのである。当時は専制君主国家的な意味合いが強いが、その後、市民革命を通して人民主権、国民主権という形が生まれる。国家主権と国民主権は意味合いは違うが、しかし、主権は「絶対的な権力であり、他の干渉は受けない」という意味では共通するものがある。
近世500年という西欧史の中で形成されてきた主権の概念、近年、わが国で制定された「主権回復の日」。この二つをどうつなげるべきでしょうか。
サンフランシスコ講和条約を締結した吉田茂首相は、よほどうれしかったのか、米国からの帰途でつがいのケアンテリアを購入し、生まれた子犬を含めてそれぞれにサン、フラン、シスコと名付けたという。講和条約締結に当たっては国内では全面講和と単独講和の両論があり、議論されたが、早く主権を取り戻すことを願った吉田は単独講和で臨んだ。そして、それから60年余を経て「主権回復の日」を制定したわけだが、これまでのように米国にくっついていれば何とかなる、という時代ではなくなってきた。
自国のことは自分たちで考え取り組んでいく。当たり前だが、そういう時代圏に入ってきた。そして主権回復の一歩が憲法改正なのだ。今現在、日本の置かれた立場、また日本の長い歴史を振り返ってみた時、主権に対する意味をもっと深めていかないと国家の危機を救えないという思いが、「主権回復の日」制定に込められているのだと認識している。