禅の心で世界に平和広めたい
海外布教の道
大満寺東堂 西山廣宣氏に聞く
欧米では禅がファッションのように人々に受け入れられている。昨年まで約40年間、スイス、オーストリアを拠点にヨーロッパで布教活動をしてきた曹洞宗大満寺(仙台市太白区)の東堂(先代住職)西山廣宣師に、禅に取り組む欧米人と日本人の姿勢の違いや禅を通しての平和の実現などについてうかがった。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
欧米人に仏教は新鮮
坐禅自体が究極の生き方に
昨年、ヨーロッパでの布教活動にピリオドを打ったそうだが。
最初はスイスで約20年布教し、後継者ができたので、次にオーストリアに拠点を移し約20年活動してきた。3年前に心臓の大手術をし、昨年暮れで77歳になったこともあって、海外での活動は終わりにしようと思っている。
今後は国内での活動に限定したい。今、計画しているのは『正法眼蔵』の現代語訳で、私流の解釈で分かりやすい本にするつもりだ。1巻に1年で4年は掛かるだろうから、それが最後の執筆活動になるかもしれない。80歳を過ぎると、そろそろ涅槃(ねはん)に入ってもいい。
難解な『正法眼蔵』の英訳に取り組んだのは?
私は駒澤大学の大学院博士課程にいた時、フルブライト奨学生に選ばれ、アメリカのアイオワ州立大学で3年間、宗教学を学んだ。指導教官のロバート・ベアード教授は『正法眼蔵』に詳しく、まだ英訳がないからやりなさいと勧められた。
曹洞宗では『正法眼蔵』と『正法眼蔵随聞記』が重要で、駒澤大学の教授に『正法眼蔵』を英訳すればノーベル賞ものだと言われ、無謀にもやる気になった。
ヨーロッパで布教することになったのは?
東北福祉大学に勤め始めた30歳から10年後の40歳の頃。『正法眼蔵』の英訳を進めながらヨーロッパでの布教を始めた。私には以前から、ヨーロッパアルプスを眺めながら接心(せっしん)をしたいという夢があったので、それがかなうことでもあり、以後、毎年、スイスに行くようになった。
英訳『正法眼蔵』を通して、私はむしろ海外で知られていたし、英語で指導できる日本人の禅僧として、現地で大歓迎された。私の体形から布袋(ほてい)さんを想像するのか、彼らからはジョークで「ハッピー・ブッダ」と呼ばれた。
仏教への取り組み方で日本人との違いは?
仏教の歴史が長い日本では、無意識のうちに人々に教えが染み込んでいる。仏教を信仰しているという意識は弱く、仏教の内容を知っているわけではないが、無自覚的に仏教を信仰していると言えよう。
ところが多くの欧米人にとって仏教は新しい教えなので、赤ちゃんのように新鮮な興味を示してくる。教えを理論的に学び、坐禅などで実践してどんどん深めようとする。その姿勢はとても真剣で、仏教が習俗のようになっている日本人との大きな違いだ。
彼らは禅に何を求めているのか?
曹洞宗では「只管打坐(しかんたざ)」と言うが、彼らにとって坐禅自体が究極の生き方になっている。釈迦は悟り、解脱を求めたが、禅では「悟りを求めてはならない」としているから。
先生の宗教活動の根本にあるのは?
生後80日で母を亡くしたことから、仙台空襲、3年前の心臓の大手術という、何度も死を間近に見てきた体験だ。私は9人兄弟の末っ子で、上は全部女性。母は亡くなったが、隣に末子を亡くしたばかりの馬車屋の夫婦がいたので、夫人から乳をもらい、幼児の私は何とか生き永らえることができた。
戦時中、私が学校に上がる前の年に仙台大空襲があった。父は本尊を本堂から出し、布団10枚を上に重ねて守り、私はその上に座って動かないようにと言われた。私の目の前で本堂が空襲を受けて炎上したので、雨あられのように降った爆弾が、もし私の近くに落ちていたら、命はなかった。
そして3年前に心臓の大手術をし、これからは死に向かってどう生きるかが課題だと考えている。
禅を通して見いだしたのは心の平和であり、最終的にはそれを現実の世界に及ぼしたい。世界で毎日のように起きている殺し合いを防ぐのが、日本人の大きな使命だと思う。
今の日本人に言いたいことは。
坐禅がもたらす心の平和に基づいて、戦争のない世界をつくるよう努めてほしい。身口意の三業(人間の一切の活動)の元になる心を平和にするのが坐禅だから。それに気付いた欧米人が真剣に坐禅を組んでいる。キリスト教徒の人たちも見事な姿勢で坐禅をするので、日本の禅は宗教・宗派を超えている。
鈴木大拙や弟子丸泰山などの活躍もあって、海外では日本の禅とチベット仏教がよく知られている。
仏教とりわけ禅は平和を願う日本人の心、日本の文化そのものだと思う。日本人はもっと日本文化に誇りを持つべきだし、それが世界に広まることが、世界の平和に役立つのではないか。
禅は一人ひとりの尊厳を大事にし、信仰はそれぞれのもので、一つにしようとはしない。ばらばらでいいというのが基本だ。その意味では近代的だと言える。
昨年10月、初めて伊勢神宮と出雲大社に参拝した感想は。
とても感動した。10月は神無月だが、全国の神々が集まって会議する出雲では神有月と呼び、神々が泊まる社もある。社殿を見て理屈抜きにありがたいという気持ちになった。これまで神道にはあまり関心を持たなかったが、日本人として出雲の歴史など知るべきで、これからは神道も勉強していきたい。