平成の二宮金次郎を体現
利他の精神
夕張再生の会代表理事 上田博和氏に聞く
警備会社、ビルのメンテナンス会社などを経営し日本青年会議所(JC)専務理事を歴任した上田博和氏(46)が現在、精力的に取り組んでいるのが財政破たんした北海道夕張市の再生だ。その背中を押したのが幼い時から培ってきた二宮金次郎の利他の精神などの教えだという。夕張再生の会をスタートさせたきっかけなどについて上田代表理事に聞いた。(聞き手=政治部・早川一郎、山崎洋介)
「積小為大」で夕張再生を
JCの徹底教育で「測り」変化
会社を起業したきっかけは何か。

うえだ・ひろかず 1970年、神奈川県生まれ。(株)清王サービス代表取締役社長、15カ所に事業所を展開。97年、小田原青年会議所(JC)に入会。2006年、小田原JC理事長、10年、日本JC専務理事。12年、夕張再生の会をスタートさせ代表理事に。日本JCシニア・クラブ世話人。著書に「行動力」。
高校卒業後、3年半ぐらい会社に勤めたが、いろいろな経緯があってクビになった。その時、上司から「男は悔しいと思ったら『恩返し』をしなければいけない」と言われた。当時、相撲界にはハワイ出身の曙と小錦がいたが、同郷の小錦からいろいろと教わっていた曙が、試合で小錦を投げ飛ばす、これが恩返しだと。今の会社を見返すような男にならないといけない、ということで起業をした。
二宮金次郎の教えに勇気付けられたというが。
小田原市の栢山にある二宮金次郎先生の生家は、自分の家の近くにあり、近所の誰もが先生を尊敬していた。小さい頃、親から何度も言われたのは、「積小為大(小を積んで大を為す)」という先生の言葉だった。
また、商売を始めて特に感じたのは、お金を求めるとお金が逃げていくということだ。これは「たらいの法則」という二宮先生の教えで、温泉で向こうから熱いお湯が出ていて、それを来い、来いと言ってかくと、お湯は周りに流れていく。いらない、いらないとやると、自分に戻ってくる。実は商売もこれと一緒だ。利他の精神、他人があって初めて自分があるという二宮先生の教えが今の商売にもつながっていると思う。
青年会議所(JC)に1997年に入り、2010年には専務理事という「ナンバー2」になった。その中で二宮金次郎の思想がどう生かされたか。
私は、中学生ぐらいから遊びが楽しくなってしまい、バイクを乗り回したりしていた。私がJCに入った当時は、2代目、3代目といったそこそこのお金持ちの息子さんが入るような団体だったので、「こいつを入れるとはどういうことか、上田と付き合うな」などと言われるくらいだった。
人のためにやれば必ず自分に返ってくるという二宮金次郎先生の教えは、私だけでなく、小田原のJCのメンバーのほとんどが学んでいる。そのような姿勢でやらせていただいたおかげで、これまで何とかうまくやれてこれたのだと思う。
現在、北海道の「夕張再生の会」の代表理事を務めている。夕張をなんとかしようと思い立った契機は。
私がJCに入会した時の会員数は5万人を超えていたが、JCを卒業する頃は4万人を切る状況だった。それを全国的になんとかしようという中で、JC夕張が2名になり、もう解散しかない、というお話を聞いて、11年11月に夕張に行くことになった。
初めのうちは、夕張JCの先輩からも、「青年会議所というのは時代遅れだ。やりたいなら勝手にやれ」と言われた。1年間に40回以上、東京から飛行機で通ったが、お金がもらえるわけでもなく、誰に褒められるわけでもない。若い人たちも減っている状況だったが、一軒ずつ家を回ったり、紹介をしてもらったりしながら、何とか1年間で十数名の新規会員を入れることができた。そのメンバーたちがお祭りなどで中心になって働くことで、今では「夕張の未来は明るい」と言ってくれる先輩も出てきた。
夕張では具体的にどういう取り組みをしたか。
実は、1年ほど経(た)った頃、夕張から手を引こうと思った時期があった。夕張に入り込み過ぎると逆に地元の方々に迷惑をかけてしまうと思うところもあったからだ。
しかし、かつて市に小学校10校、中学校5校あったのに、今はそれぞれ1校ずつという状況の中、雪の中を歩いている子供たちの姿を見て、この子たちの未来のために私にもできることがあるのではないかと考えるようになった。そこで、夕張の地元の方や若い人たちも含めて、「夕張再生の会」を作った。
まず最初に手を付けたのが、もみじ祭りという、かつて市で最大だった祭りを再開することだった。夕張に入った時に、もう一度、秋のもみじの時期に開催していただけないかというお話を多くの方からいただいていたからだ。一度、やらなくなったものをやり直すというのも大変だったが、最初は数人程度だったのが徐々に参加者も増え、去年は8000人に来ていただけるまでになった。
また、夕張が財政破綻したため、公衆浴場などいろいろなものを無くしたが、その中でも一番無くしてはいけないものが図書館だった。夕張市は、65歳以上が50%近く、60歳以上だと、80%を超え、世界一と言われるぐらいに高齢化が進んでいる。そこで、年配の方と子供たちが集えるような図書館を造れないかということで、小学校の廃校の跡地に設置することになった。また、地元の人にそこで喫茶店をやってくれないかと頼んだ。小さな図書館だが、利用者も増えている。
夕張は水道代やゴミの処理費が日本一高いと言われるくらいなので、工場の誘致はなかなか難しい。そこで新たなビジネスを生み出そうと3年前から始めたのが「夕張企業塾」だ。資金の提供や出資金集めなどもわれわれがサポートして、まだ少ないが20代の3人が起業した。2年が経つが、ひとまず3社とも順調だ。この輪をさらに広げていきたい。
地元の夕張高校がこのままだと廃校になると言われていた頃、先生方や市役所と話し合って、「甲子園プロジェクト」をスタートさせた。もともと夕張市役所が、北海道の野球大会で1位になるほど、野球好きの街だ。
プロジェクトのためには、甲子園に連れて行けるような監督さんを招いたり、寮などの施設も整備する必要があるが、市も全面的に協力しようということになり、市と学校と「再生の会」の3者で進めている。
他にもいろいろとあるが、大きな会社を誘致したり、観光施設を建てるということではなく、二宮金次郎先生の「積小為大」の教えの通り、小さな取り組みを積み重ねていこうというのがわれわれ「再生の会」の趣旨だ。
そこまで夕張のために尽くす理由は何か。
私のベースには二宮金次郎先生の教えがあるが、JCで勉強する中で私の物事の測りが変わった。JCは若者を鍛える団体だ。国家や憲法、利他の精神、国や地域への愛ということを徹底的に教えてくれる。
私は今、夕張に住所を移している。私がいることによって、多少なりとも何かできるならという思いからだ。また、その背中を若い子たちに見せることで何かが動く可能性があると考えている。それはJCで培った考えだ。
自著『行動力』に「必ずこの国も再建してみせる」とあるが、どのような再建を描いているのか。
今一番大きな問題は、自分さえよければいいという考え方が経営者にも非常に多いことだと思う。この風潮を変えるには、教育が大切だ。若い青年たちにもう一度、地域コミュニティーの大切さを教える必要がある。隣の家のおばあちゃんが倒れたらみんなで助けるといったことが当たり前にならないといけない。こうした精神面での再生が地域の再生につながっていくと思う。
地方創生が掲げられているが、ただお金をばらまくのではなく、一番大切なのは、やはり心の在り方だ。私が若い人たちに常に話すことは、この国があるから、自分たちの地域があり家庭があり、会社があるということ。そこが崩れている今、われわれがやれることはたくさんある。若者たちに私の背中をみせることによって、こうした思いを発信していきたい。