神より出でて神に帰る

簡略化する葬儀と神葬祭

八幡神社宮司 畑中一彦氏に聞く

 近年、家族葬や直葬など葬儀の簡略化が進んでいる。そこで注目されているのが、日本古来の神道にのっとって行われる葬儀。東京都神社庁の教学委員会委員として『神道の葬儀』をまとめるなど神葬祭に詳しい八幡神社(東京都世田谷区太子堂)の畑中一彦宮司に、最近の葬儀事情と神葬祭について伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

業者任せの葬儀/宗教的な意味より顧客事情優先
死生観からの理解必要に/私的な通夜、公的な告別式 

葬儀の簡略化が進んでいます。

畑中一彦氏

 価値観の多様化が進む中で、葬儀を形骸化された慣習儀礼だとして軽んじたり、費用ばかりが問題にされたり、葬儀の意味そのものが忘れられているようです。背景には、20年ほど前から葬儀が業者任せになって、宗教的な意味より顧客の事情を優先してきたこともあります。葬儀の意味を説明するには、人が死をどのように理解してきたかから説く必要があります。

 人類は初めて死を認識できるようになった動物だと言えます。愛する人の死を悲しむことから、肉体は死んでも目に見えない魂というものを想定し、それが目には見えないが確かにある世界(霊界・冥界)で永遠に生きると考えることにより、死の不安やそこからくる苦しみ、悲しみを和らげるようにしたのだと思います。そこから、死者を心を込めてあの世に送る儀式を作り、それが宗教の始まりなのではないかと思います。

 葬儀は故人が生きた重さ、つまり「命」を振り返り、その功績を称え、家族をはじめかかわり合う人たちも、自分たちの「命・人生」を見つめ直し、家の継承を考える機会です。

イラクで発掘されたネアンデルタール人の骨格の周辺の土に花の花粉や花弁が含まれていたそうです。

 遺体を埋葬し、花を手向けたのは、死を悼む気持ちがあったからでしょう。そうした死者への思いはDNAに組み込まれ、現代人まで続いていると思います。

 暖かいアフリカの大地溝帯で発生した人類が、寒冷地にまで進出することができたのは、言語によるコミュニケーション力が高まったからです。そうやって頭脳が発達すると、死後の世界のことも深く考えるようになったと思います。

葬送儀礼には、親しい人を亡くした人たちを癒やす意義もあります。

 加えて、葬儀後の祭事や法要・供養を重ねるごとに浄められるという意味があります。元の生活に戻るにはある程度の時間が必要ですが、そのけじめとして、私たち日本人は仏式であってもお祓い、つまり清めをします。日本人の心の根っこにある神道的考えで、それを大事にしてきました。

家族葬ではお別れができない人が出てきます。

 葬儀に出て故人とお別れをしたいのは家族だけでなく地域社会や仕事などで関係した人たちも同じです。葬儀には私的部分と公的部分があり、通夜葬儀までは私的ですが葬儀後の告別式は公的なものです。親しかった人に別れを告げないと心のけじめがつかず、次に進むことが難しくなります。

費用も安いからと家族葬を選ぶ例も多い。

 金額的にはあまり変わらないと思います。参列者は、仏式だと香典、神式だと玉串料を献じますので、実質葬儀費のほぼ半分はまかなえます。昔から葬儀に金がかからない仕組みがありました。伝統的地域社会では葬式組が一切を取り仕切ってくれるので、家族はご遺体と別れの時を過ごせていたのです。それが今は、家族は業者との打ち合わせなどで精神的にも負担が大きく、愛しい故人との別れの時を心静かに過ごせないと考えるから、小さな葬儀にするのではないでしょうか。

仏式と神式の葬儀の違いは?

 仏教では、死者は来世で仏弟子として生まれ変わる(成仏する)とされています。来世とは西方極楽浄土のことで、悟りを開いた仏陀、その途上にある菩薩が住む所です。念仏を唱え阿弥陀仏に帰依すると誰でも浄土に往生できるという浄土宗の広まりにより、「成仏」は宗派を超えて仏式葬儀の通念となりました。

 成仏の思想は、死にゆく人には安心の、遺族には悲しみを癒やす力となり、神道が死を最大の穢れ(気枯れ)と忌避してきたこととも相まって、死者を見送る儀式として、檀家制度が施行された江戸時代以降定着し、葬式仏教とも言われるようになったのです。

 仏式の葬儀は、各地の伝統的な葬送の形に仏教思想を加味したもので、神式とも共通しています。葬儀には、修行の途中に亡くなった僧を仏(覚者)にするため、証として戒名(浄土真宗では法名、日蓮宗では法号)を授け、香を焚き、覚者の心得を読経して来世に送る(引導を渡す)という意味があります。

神道では死や死後の世界をどう考えるのですか。

 人は神の世界(霊界)からこの世(仮の世)に姿を現し、人生を全うすると、また元の神の世界に帰って行くというのが神道の、というか日本人の潜在的な死生観です。神葬祭の儀礼もその霊魂観、死生観に基づいて行われます。その形式は各地の思想・風習が反映され一様ではないのですが、ほぼ次のようになります。

 葬儀の前にするのが「枕直しの儀」で、遺体を清め、新しい着物を着せ、寝具に方向の上位である北向きに寝かせ、枕元に灯火をともし、食膳を供え、守り刀を置き、屏風を立てます。次に、「入船(納棺)の儀」で、家族や近親者で遺体を棺に納めます。その時点で棺は柩(ひつぎ)となります。そして、神棚と御霊舎(みたまや)に故人の死を報告し、前に白い和紙を貼り封をします(五十日祭まで)。

 通夜は魂の遊離した肉体に邪霊が入らないように、遊離した魂を肉体に呼び寄せ、再生を願うため、亡骸に夜通し寄り添い守ることです。通夜祭では修祓の後、斎主一拝、献饌(けんせん)と進み、祭詞には「最早あなたの御霊は帰ってこないので、この後、霊璽(れいじ)に遷霊します」と告げ、遷霊祭に移ります。消灯し暗闇の中、遷霊詞を唱え、白木の霊璽に御霊遷しの秘儀が行われます。霊璽の御前で遷霊祭詞が奏上され、斎主・喪主・遺族・親族の順に玉串が奉られ、一般参会者が続きます。撤饌(てっせん)、斎主―拝で、葬儀前夜の一連の祭儀(通夜祭・遷霊祭)が終わります。

 翌日の葬儀は、告別式も兼ねての葬式になりますが、神式では葬場祭といいます。故人の略歴や家族のことなど故人を偲ぶ祭詞が奏上され、その後、弔辞や弔電の奉読があり、哀悼と惜別の心を込めた玉串が奉られます。祭儀終了後、火葬場へ発柩となります。

 火葬祭は、焼炉を祓い、柩を納めた後、修祓、火葬祭詞奏上、玉串奉奠(たまぐしほうてん)をを行います。収骨の後、埋葬祭を行うのが順序です。

来世観で神道と仏教はどう習合したのですか。

 簡単に言えば「近い先祖が仏さまで、遠い先祖が神さま」と今日でも考えられていると思います。日本人の9割以上が仏式の葬式を選びますが、成仏した故人は30~50年で先祖神としてまつりあげられます。私たち神職は神葬祭の普及を通して「神より出でて神に帰る」という日本人の死生観や、親しい人の死に臨んで自分の人生も見直すという葬儀本来の意義を広めたいと考えています。

 畑中宮司は昭和22年石川県輪島市の生まれ。神宮皇學館・國學院大學文学部神道学科を卒業し、東京都港区の芝大神宮権禰宜、北海道滝川市の滝川神社禰宜、同苫小牧市の樽前山神社権禰宜等を経て、平成元年より世田谷区の八幡神社禰宜に就任し、24年に宮司になった。北海道では、全国から来た人たちの中に教派神道の信者も多く、後に教派神道が衰退したことから神社に神葬祭を依頼する人が増え、神葬祭を多く経験した。そうした経験から、東京都神社庁で神葬祭の手引書を作る委員の一人に選ばれ、現在も東京都神社庁教学委員会(元教学を考える委員会)委員を務めている。