アスリートの違法行為、金銭至上主義で歪む

田浦無想流古武道第29代棟梁日本総合武術研究会会長 井久保 要氏に聞く

 今年4月、日本の有力なバドミントン選手が違法賭博にかかわったとしてリオデジャネイロ五輪の日本代表選手の指定解除を受け、競技会無期限出場停止などの処分を受けた。もっとも有名アスリートによるドーピング問題は海外では頻繁に報じられているが、国内でもプロ・アマ問わずスポーツ選手の違法行為が目立つようになってきた。近年、スポーツ選手の不祥事が目立つ原因について田浦無想流古武道第29代棟梁で日本総合武術研究会会長の井久保要氏に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)

希薄化する倫理道徳/内面性欠落した戦後教育
安全神話が崩れる今護身術を教えるべき 

最近、プロ・アマ問わず有名アスリートの違法な行為が話題になっています。元プロ野球選手の覚醒剤使用からバドミントン五輪選手の賭博まで大きな社会問題になりました。これについてどう思われますか。

井久保 要氏

 本来、スポーツとは競技性がありながら一般市民も楽しめるものという考え方がありました。ひと頃までオリンピックは「参加することに意義がある」とも言われていました。ところが、ある時点からスポーツやオリンピックに対する国民の捉え方が変わってきたように思います。一つは、メダル至上主義があります。メダルそれも金メダル。「メダルが取れなければ意味がない」というような風潮があるのではないでしょうか。もちろん、金メダルを目指すことは決して悪いことではなく、それは素晴らしいのですが、重要なのはそこに至るまでの過程であるということ。たとえメダルを取れなくとも価値あるものがあるということを知らなければならないでしょう。

 それからもう一つスポーツに対する捉え方が変わってきたとして、テレビなどのマスコミも絡んでいるのですが、金銭至上主義が前面に出ていることです。ご存じのように、オリンピックでは大きなお金が動きます。誘致運動にしてもコマーシャルにしてもその額は膨大で、テレビなどでの放映権も億を超える資金が行き来します。選手には好成績を上げれば報奨金が支給されます。そうすることで選手の意識を高めようとしているのだと思いますが、膨大な報奨金はスポーツ本来の精神に合致しているようには思えません。

 さらに、政治的な思惑があります。オリンピックやワールドカップなどの国別対抗の競技ともなれば国威発揚のために、選手たちに違法なドーピングさえも行ってしまうという歪んだ実態を生んでいます。これなどは明らかに政治的な思惑が絡んだものと言えるでしょう。

 オリンピック憲章ではスポーツにおける倫理性や青少年教育の奨励、フェアプレー精神の確立、差別や政治的利用に対する反対といった使命・役割を謳(うた)っていますが、そうしたスポーツに求められている精神が希薄化してきたということでしょうか。

 つい最近、日本の囲碁の世界で井山裕太棋士が7冠を達成したとマスコミが報じていました。私は今の囲碁や将棋の世界に本来のスポーツの姿を見るのです。囲碁や将棋はスポーツかどうかという議論はあります。肉体の一部である脳を動かすという意味ではスポーツの範疇(はんちゅう)に入れてもいいと思うのですが、それはさておき、彼らの対局の姿勢です。

 1局10数時間という対局を死力を尽くして戦い、負けが見えた時は素直に「まいりました」といって一礼する。勝者も黙って一礼する。そうした仕草にこそスポーツ本来の精神があるように思います。敗者は悔しさを表面に出さず、勝者もまたその驕(おご)りも見せない。互いに戦った相手を尊重するという姿勢。それが大切だと思います。

 オリンピック憲章もそうしたスポーツが有している倫理道徳性や有益性を発揮し、世界平和に貢献することを目指しているのだとは思います。

日本のバドミントン選手が賭博事件を起こした時に、馳浩文部科学大臣が「スポーツにはメダル以上に大事なものがある」と話していました。日本の教育も知育、徳育、体育の向上を目標に掲げていますが、プロ・アマ問わず問題が頻繁化しています。体育を施すうえで人間形成に何が欠けていたのでしょうか。

 結論として言えば、戦後の日本の教育の中で倫理・道徳教育が欠如していたことが根底にあるのでしょう。安倍首相は現在、道徳教育を重要視し、全面的に推進しています。体育の授業では日本古来の武道が道徳性を有しているとの理由で剣道と柔道を取り入れているのもその表れです。

 ただ、柔道は道徳的かどうかという疑問を私は持っています。というのも、柔道は現在、オリンピック競技に採用され、体重別に区切られるなど完全にスポーツ化されています。そうした状況で道徳的なものを教えるには無理があるように思います。

 むしろ、剣道の方がまだ道徳性が残っているのではないでしょうか。というのも、剣道は礼、信、義、智、仁を教え、何よりも体重別になっていない点が武道に近いものがあると思います。

 ただ、私個人の考えとして体育で柔道や剣道を教える時間があるのであれば、護身術を教えるべきだと思います。もちろん、道徳を教えることは大切ですが、自分の身を自分で守ることを教えることはもっと重要です。

 「日本は治安のよい国」という神話が崩れている昨今、護身術を身に付けることは急務。10日間ほどの時間があればかなりの護身術を身に付けることができます。ここで重要なことはテレビなどで行っている面白半分の護身術ではなく、理論に沿った実践的な護身術を教えることです。

かつて日本には武士道という世界に誇れる高貴な精神が息づいていたといわれています。そうであれば、スポーツ道のようなものがあってもいいように思うのですが。

 ひとくちに「武士道」あるいは「武道」といっても、それを説明するのは非常に難しい。先日、本州の古武道の団体から招待状が送られてきました。そこには「厳選された日本の古武道の流派を集めて大会を催す」と記されていました。そこで私は「厳選されたとありますが、どのように厳選されたのですか」と直接聞いたのです。はっきりとした回答はありませんでした。

 武道は「道」という字が入っている以上、道(=究めること)を求めるものであって「武術」とは違います。むしろ「武術」を磨くことで、ついには「武道」として昇華していくものといえます。武士道もまた武士としての「道」を究め、それが武士の精神として昇華していった。

 その一つが主君のためには命を投げ出すという行為になっていったと思います。こうした「武道」「武士道」という考え方はヨーロッパにはありません。

 一方、スポーツにはスポーツマン・シップという言葉はありますが、それは倫理道徳の範囲内であって日本の武道、武士道の精神とは異なると考えています。日本の武道、武士道には肉体的、技術的鍛錬に合わせて命を懸けたぎりぎりの精神的な戦いが要求されているように思います。

 ただ、私としては有名アスリートを含めてスポーツ選手にはかつてのような「武士」のようになれとはいいませんが、国民に夢を与えている以上、人格を高め、技を磨いて限界に挑戦していってほしいと願っています。

 井久保氏の出身は鹿児島県。3歳の頃より祖父(第28代棟梁井久保乙次郎)から家伝の古武道を学ぶ。昭和32年3月に陸上自衛隊に入隊し、日本の防衛に従事する傍ら家伝の古武道と空手、拳銃の操法の関係について総合的に見直しを図り、平成元年に現代における総合武術としての研究に着手。平成5年に日本総合武術研究会として発足させた。自衛隊在隊中も海外からの空手研修者の指導に当たる。平成13年7月には11カ国の古武道愛好者を集め、国際親善古武道演武会を開催、各種団体等の要請による講演を行い、失われつつある日本人の自信と誇りを取り戻すべく情熱を傾けている。78歳。