石垣島移住20年、海と緑が心を癒やす
翻訳家 ゲアリ・ワイコフ氏に聞く
日本の最南端、沖縄県八重山諸島の石垣島に暮らして20年のアメリカ人夫妻、翻訳家のゲアリ・ワイコフさん(65)とスーザンさん(64)。共にバハイ教徒で、英会話講師として来日し、山口県宇部市、熊本市、福岡県久留米市などを経て、2001年に移住して来た。東シナ海のマイビーチに続く1000坪の敷地に建てたアメリカ式の自宅で話を伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
人格の広さ保ち仲良く
あこがれた自然の中での生活
お生まれは?

ゲアリ・ワイコフ氏 がオレゴン州の生まれと聞いて、ジョン・ウェインの西部劇「オレゴン魂」を思い出した。一方、スーザン夫人は大都市シカゴの生まれ。オレゴン州立大で出会い、学生結婚。記者が石垣島の自宅を訪ねた3月15日はバハイ教の断食月のさなか。着いたのが夜7時だったので、幸い豪華な夕食を味わえた。お別れした19日が断食明けで、バハイの暦では正月。その教えのようにコスモポリタンな夫妻だ。
1956年、オレゴン州コーバリス市です。同州生まれの父は当時、同市にあるオレゴン州立大学修士課程で、後に教授になりました。先祖はオランダから1608年、ニューアムステルダム、今のニューヨークに上陸し、ニューヨークにあるワイコフ・ファームハウス・ミュージアムは歴史的建造物になっています。
エール大学時代に川端康成や三島由紀夫への関心から早稲田大学国際部に留学し、その後、オレゴン州立大に転校して農業経済を学び、スーザンと学生結婚しました。
家はプロテスタントでしたが、私自身は鈴木大拙の本などから日本の禅に引かれ、日本に行けば禅の修行ができ悟りを開けると期待していたのですが、周りの日本の学生は仏教に全く無関心で、勉強もあまりしないのには驚きました。
州立大を卒業後、モンタナ州の友達と林業の会社を起こし、その後、宇部市で英会話教室の講師をしている友達の誘いで1978年に来日。1年後、熊本に移って自分で英会話教室を開き、久留米では翻訳の会社を始め、高校や大学、予備校で英語を教え、娘1人と息子2人が生まれました。3人とも伴侶は日本人です。
石垣島に移住したのは?
夫婦で第二の人生を過ごすには田舎がいいと思い、福岡から直行便がある石垣島で、3年ほどかけてここを見つけました。北部の東シナ海に面した野底(のぞこ)の砂浜に続く牧草地でした。バブル時代に開発計画があったのですが、五つの会社に転売され、手の届く値段になっていました。当時は野底までISDNがつながっていて、今は光ファイバー回線です。
ご自宅はアメリカ式の建物ですが?
スーザンの妹の夫の設計で、材料一切をコンテナで運び、アメリカから来た大工と地元の大工が一緒に建てました。内外両面に断熱材を入れ、二重窓で天井の高いコンクリート製で、台風に備えるためです。その後、車庫を別荘に改築し、ネットにアップすると海外から客が訪れるようになりました。
その間、元兼城(かねしろ)公民館長(自治会長)の自宅の2階を借りて住みました。彼は戦後、沖縄本島から兼城集落への入植者の団長で、私たちを第2弾の開拓者として受け入れてくれました。
島でのお仕事は?
翻訳と企業などへの英語教師の派遣が中心で、住んでみて台風被害が多いのを知り、耐久性に優れた合成繊維の台風対策ネットを製造販売しているアメリカのハリケーン・ファブリック社の日本総代理店になりました。その販売や施工の仕事も順調です。
アイヌ三大歌人の一人、森竹竹市の詩集『原始林』の英訳を出しています。
石垣島出身の詩人、伊波南哲(なんてつ)の長編叙事詩『オヤケ・アカハチ』も英訳し、日本の最北と最南の詩人の英訳をしたことになります。翻訳の多くは会社や大学の実用的な原稿ですが、文学に興味があり、バハイの書籍も和訳しています。
移住者へのアドバイスは?
移住したものの仕事がうまくいかず、安い時給で暮らし、内地にも戻れないという若者もかなりいます。尖閣諸島に近い石垣島には、防衛省のミサイル基地(陸自駐屯地)建設が始まっていて、完成すると600人くらい駐屯するので、発展の可能性はあります。
飲食業のようにハードルの低い仕事ではなく、確実な収入が見込めて、景気に左右されない仕事や技術、人脈のあることが第一です。そして地元の人たちと仲良く付き合える人格の広さですね。移住に際し私たちのポリシーの一つは、地元の人たちと競争しない、仕事を奪わないでした。
世界が一つになろうとしている今、私たちは国を超えて暮らし、活躍する時代だと思います。私は外国人なので、むしろやりやすかった面もあります。自分なりの生き方を持った上で、それを乗り越える気持ちで移住すれば成功すると思います。
早朝、芝生に出ると満天の星空で、空が白むにつれ光が消えていきます。すると、鳥たちのさえずりが始まり、浜に出ると潮騒が心地よく、足元では小さなヤドカリが動き回っていました。
ボートで沖に出てシュノーケルで潜ると、サンゴやいろいろな魚を楽しめ、カヤックで島巡りもできます。海と緑に恵まれた石垣島には人の心を癒やす力があります。
コロナ禍は自然との付き合いに対する警告のように感じます。
昔の聖典にも疫病は書かれていて、パンデミックの記憶は人々に受け継がれています。
カミュの小説『ペスト』やスウェーデン映画「第七の封印」では、黒死病に襲われたヨーロッパが描かれています。東大寺の大仏を建てる要因の一つも天然痘の流行です。
私は若い頃から自然の中で暮らし、自分で育てた野菜を食べる生活にあこがれていました。長女も同じ考えなので、時代が変わろうとしているのかもしれません。
コロナ禍でリモートワークが普通になり、遠くの人ともオンラインで顔を見ながら会話するようになりました。だから、田舎にいても寂しくない。息子たちはハワイにいますが、近くに住んでいるような感覚です。IT技術のいい面を生かして、地方移住を成功させたいですね。