童謡は日本人の心の財産
童謡の伝道師
歌手 グレッグ・アーウィン氏に聞く
これまで100曲もの童謡を英訳し、「童謡の伝道師」とも呼ばれる歌手のグレッグ・アーウィンさん。翻訳時の忘れられない思い出や童謡の中に見いだした「美しさ」について話を聞いた。
(聞き手=石井孝秀)
歌に心の壁を開く力
家族の大切さ訴える歌手に
童謡とはどのように出合ったのか。

Greg Irwin 米国ウィスコンシン州出身。童謡・唱歌を自らの視点で英訳し、その数は100曲以上を数える。日本各地でコンサート・講演を行うほか、テレビ・ラジオ・声優・ブライダル司会などを幅広く活動している。日本童謡協会『童謡文化賞』を受賞。公式サイトhttps://www.gregvoice.net/
26歳の時、日本でホームステイした経験から、ハワイ大学で日本語を専攻し、日本の文化を学んだ。授業で黒澤明監督の映画を見て、感銘を受けたことはよく覚えている。卒業後に日本へ戻ってからは声優の仕事をするようになった。東京ディズニーランドのアナウンスや携帯電話の着信音の音声などを担当したこともある。
ある時、歌手として作詞作曲もしていたことから、「ふるさと」や「七つの子」など童謡10曲を英訳するという仕事を頼まれた。大きな辞書を買って翻訳の仕事を始めると、訳しながら何度も涙を流した。
日本の童謡は人間なら誰でも持っている子供の頃の経験や寂しさ、幸せな気持ちを感じさせてくれる。さらに家族愛、自然を愛(いと)しく思う心、美しい季節感などが伝わってくるなど、世界に通じるメロディーだ。一つ一つが素晴らしい作品であり、日本人の持つ美しい心の財産だと感じた。
英訳した童謡を披露すると、周囲から「これはあなたのライフワークになる」と言われたことを覚えている。
翻訳をその後も続けるうちに、周りの人に童謡について質問をするようになった。例えば、「『夕焼け小焼け』の歌にどんな思い出があるか」などだ。
知り合いだけでなく、タクシーの運転手やクリーニング屋などにも聞いてみた。昔、おばあちゃんから教えてもらったとか、そういった思い出話を聞かせてもらった。こういった質問をすると、いきなり相手の顔が変わって優しくなるのが印象的だ。
やがて、日本全国でコンサートをしたり、海外でも良い評価をもらった。海外から届いたあるメールでは、「ゆりかごのうた」を流すと子供が静かになると喜ばれた。
歌詞の英訳は簡単ではなかったと思うが、思い出に残っていることは。
いろんなエピソードがあるが、一番は「赤とんぼ」を英訳した時だ。九州の南阿蘇の山に登り、夕日を眺める機会があった。その時、私の後ろから100匹くらいの赤とんぼの群れが飛んできた。それがあまりにも美しくて涙が出た。
その時ちょうど、この童謡の翻訳をしていたのだが、あまりうまくいっていなかった。「赤とんぼ」を「Red dragonfly」と訳していたが、それではあまり美しくないと悩んでいた。だが、この夕日を浴びた赤とんぼの美しい姿を見た体験から、「Dragonflies as red as sunset」(夕日色のトンボ)と訳すことに決めた。
日本では必要ないが、英語の歌詞は韻(いん)を踏む必要がある。歌詞の内容を損なわず、限りある言葉で自然に韻を踏まなければいけないというのはチャレンジだった。
また、日本語と英語の長さの違いを調整する工夫として、ストーリーを補完するような内容を、歌詞の中に組み込むこともある。
例えば「七つの子」の英訳では、歌詞の「可愛い可愛いと啼(な)くんだよ」の部分で、カラスの子供たちが「Tell us when can we fly?(私たちはいつ飛ぶことができますか)」と、尋ねる場面を追加した。
子供たちに聞かせたい、お薦めの童謡を三つ挙げるとしたら。
「おもちゃのチャチャチャ」「ゆりかごのうた」「七つの子」の三つだ。子供にとって、おもちゃが箱から出て踊りを踊るというのは素敵なファンタジー。「ゆりかごのうた」もメロディーがきれいで優しい曲だ。「七つの子」は子供に対する親の美しい優しさがすごく伝わってくる。
私自身は、「赤とんぼ」が最高の作品だと思っている。日本の代表的な歌であり、短歌のように抽象的な短い詞なのに、その裏には深い意味がある。私が一番感動した曲でもあるので、コンサートでは毎回歌うし、歌うべき歌だと思っている。
今後の目標は。
10年くらい前から結婚披露宴の司会という仕事もやるようになったが、披露宴の仕事は楽しく、私自身も幸福な気持ちになる。童謡を歌う時もそうだが、誰かを幸せにしたいという気持ちで仕事をしている。もしかしたら私にとって、誰かの幸せを願うこと自体が、本当のライフワークなのかもしれない。
私は年老いても童謡を通じて、家族や友達が大切だという価値観を伝えていきたいと考えている。物質中心の考え方や個人主義ではなく、人間同士の愛情や信頼の大事さを訴えたい。歌には心の壁を開く力がある。私は有名な歌手になるより、そういった活動に興味がある。
童謡のいいところは、人気の流行り廃りに関係なく、永遠に歌えるところ。80代や90代になっても童謡を歌いながら、日本の良さも海外に伝えていくことができればと思う。