イスラムの本当の姿を

東京ジャーミイ広報・出版担当 下山茂氏に聞く

世界平和できるのは宗教だけ

 東京都渋谷区にあるイスラム教寺院(モスク)「東京ジャーミイ」。日本人のムスリム(イスラム教徒)である下山茂さんは広報を担当しており、イスラム教への正しい理解を求めて活動している。信仰に出合い、現在の仕事へ至った経緯と、下山さんの考える現代社会で宗教が果たすべき役割について話を聞いた。
(聞き手=石井孝秀)

アフリカ体験でムスリムに
手厚いもてなし 固定観念覆す

イスラム教の信仰を受け入れるきっかけは。

東京ジャーミイ広報・出版担当 下山茂氏

 しもやま・しげる 1949年岡山県生まれ。1969年早稲田大学政治経済学部入学。出版社などを経て現職。イスラムの雑誌「アッサラーム」創刊。編集、出版に携わった書籍多数。

 早稲田大学2年の19歳の時、私は探検部に入っていて、第2次ナイル川全域踏破隊に参加した。アフリカのスーダンで出会ったイスラム教徒(ムスリム)の人たちは、例外なくホスピタリティーにあふれていた。テントで眠るのは狭くて暑いので、近くに民家があるとよく一宿一飯をお願いしていた。泊まることを断った家は一軒もなく、電気もガスも水道もなかったが快適だった。私たちが疲れていると見るや、蜂蜜をご馳走してくれた家族もあった。

 後に彼らがイスラム教徒と分かった。異国の旅人に寛容な彼らの姿は、当時の私がイスラム教徒に抱いていた「怖い」などの固定観念を見事に覆してくれた。

 帰国後、日本に留学しているイスラム諸国からの留学生たちとの交流を経て、27歳でイスラム教徒となった。信仰の道へ入ったことで新しい世界が開けてくるように感じた。やはり信仰を持つ決め手となったのは、神の前に全ての人間は平等であるというイスラム教の教えを実際に体験したことだ。アフリカでの出合いが、私の信仰の原点になっている。

2001年の米国同時多発テロが転機となったと聞いた。

 同時多発テロが起きた時、これからイスラム世界は大変な時代になると感じた。

 もともと日本は、明治以降から欧米に倣ったため、欧米の歪んだイスラム観が強い。例えば、未開で野蛮、淫靡(いんび)な宗教などといったイメージだ。そこに加えて2001年のアメリカ同時多発テロ以降、「テロを行う集団」などのイメージがメディアを通じて拡散されてしまった。私はさまざまなレッテルを貼られるイスラム教を、日本の人々にもっと理解してもらいたいと考え、ここでの広報担当の仕事を引き受けることにした。

 同時多発テロ後も立て続けにテロ事件が起き、日本人が犠牲になる事件もあった。そのたびにメディアがコメントを取ろうと、ここに殺到してきて大変だった。

 中には周囲からやめた方がいいと言われるような取材もあったが、それも受けた。どんなメディアでも対応し、誠実にイスラム教とはこんな宗教だと訴えなければいけない。むしろ、そういうチャンスであると思ったからだ。

 そうすると逆に、多くの日本人が関心を持ち、東京ジャーミイを訪れるようになった。土日に行っている見学ツアーには、コロナ前だと1日100人前後の人が来てくれるようになった。不幸にして事件をきっかけとしてではあったが、日本人がイスラム教に興味を持つようになった。日本の人々に複雑な悪意があるわけではない。単純にイスラム教徒のことを知らないか、間違ったイメージがあるだけだ。

日本人に対して、イスラム文化をどう紹介しているのか。

 東京ジャーミイのツアーに来た人たちには、イスラム文明で生み出してきたものが、実は私たちの日常にたくさんあることを伝えている。アラビア数字はもちろん、コーヒーもイスラム文明で生み出されたもの。チューリップの花はオランダのイメージだが、これもトルコから欧州に入ってきたもので、モスクによくチューリップの絵が描かれている。

 豚肉食の禁止を話題にするときもある。今の日本人は不思議に思うかもしれないが、実際のところ昔の日本でも、仏教の影響で四つ足の獣を食べてはいけなかった。これについて、哺乳類の病気は人間にも感染しやすいから禁止していたのではないかという説もある。

 現在でも、豚肉の洗浄・消毒は念入りで、その様子を見るととても食べられないくらいだと知人から聞いたことがある。昔は肉を消毒せずに食べていたことを考えれば、それは危険と隣り合わせの行為だったことは間違いない。宗教が人間の幸福を実現するためのものであるならば、当然、命を奪う感染症や病気にも対策していかなければいけない。

 食べる動物の命を奪うときは、首の頸(けい)動脈を一気に切っている。残酷なようだが、最も短い時間で命を奪う作法がそれだ。そして切る前に、この動物にも神の慈悲があるように、と唱えてから切っている。ムスリムは命に対する慈悲を捧げてから、その命を食べている。

 私はこういう話をしながら、日本人のイスラム教への固定観念をひっくり返そうと努力している。

現代社会で、宗教はどんな役割を果たせると思うか。

 国境を越えて、経済や観光などでヒト・モノ・カネが大量に動き、インターネットで情報が瞬時に広がる時代になった。一方で、犯罪の国際化が進み、感染症の拡大や温暖化などの環境問題も国境に関係なく起きる。

 もともと人間は国家や国境と関係のない存在だった。皮膚の色や民族を超えて人類はみな兄弟であるはずだ。私もイスラム教徒になり、国境を越えて多くの友人に恵まれた。宗教のやるべきことは、国を超えて人間の絆や命を大切にし、そして救うこと。このような考え方は日本の仏教や神道とも通じるだろう。

 その逆に宗教がさまざまな国の国益に利用されるということも多い。イラク戦争もそうだが、大国のエゴイズムに宗教が巻き込まれ、対立構造として利用されてしまう。

 私があるムスリムに、あなたにとってコーランとは何かと尋ねると「ガイドブック」という答えが返ってきた。つまり、人生という長い旅ではその間、迷ったり悩んだりする。そういうときにコーランを読むということだ。

 本来の宗教は人間の痛みと苦しみを共有し、絆を結ぶことができるもの。国家という枠組みを超え、自らのアイデンティティーとなり得るのが宗教のすばらしいところだ。世界平和をつくれるのは宗教しかない。

 現代人は便利さやスピードを求め過ぎて、何かを失っていないだろうか。宗教はそういうことを教えなければいけないと思っている。今回のコロナ騒動で命の大切さや人間同士のつながりを考えさせられるようになった。われわれ人間は神から、もう一度顔を洗って考え直せと言われているような気がしてならない。