バハイ教の信仰に生きる
良薬になる良い行い
貿易商社社長 マスウド・ソバハニさん夫妻に聞く
日本在住33年のイラン人、マスウド・ソバハニさんが2017年に出した本は『憎まない 「おかげさま」と「憎まない」たった2つの日本語で幸運を呼び込んだペルシャ人のお話』(ブックマン社)。日本に移住し、事業で成功するまでの波瀾(はらん)万丈の半生がつづられている。バハイ教の信仰に生きる夫妻を、瀬戸内海を望む高松市庵治町の自宅に訪ねた。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
ワンラブと無欲で人を憎まない
悪口は人を傷つける毒
テレビのコメンテーターとしてご活躍ですね。

Masoud Sobhani 貿易商社社長、KSBスーパーチャンネルのコメンテーター。1955年イラン生まれ、米国育ち。結婚を機に日本へ移住し、香川県でペルシャ絨毯の会社を設立。高松と神戸を拠点にビジネスを展開し、趣味の少林寺拳法では初段で香川県チャンピオンに。高松南ロータリークラブで2013~14年度会長を務めた。著書は『憎まない』(ブックマン社)。
Nahid Sobhani 1958年テヘラン生まれ。78年に来日。79年のイラン革命で帰国できなくなり、帝塚山大学に入学。卒業後、イラン・ジャパン石油化学入社。86年ハワイで出会ったソバハニ氏と結婚し、香川県高松市に定住。
マスウドさん KSB瀬戸内海放送の人気情報番組「KSBスーパーJチャンネル」で毎週水曜日、出演しています。名物のうどんが大好きで、450軒食べ歩きました。多度津町が発祥地の少林寺拳法では、初段で香川県チャンピオンになったこともあります。
今のお仕事は。
マスウドさん ペルシャ絨毯(じゅうたん)やオリーブオイルを扱う貿易会社を経営しています。拠点は神戸にありますが、本社は高松の自宅です。
バハイ教ゆえイランで迫害されたのでは。
マスウドさん バハイ教は19世紀半ばにイランでバハオラが創始した一神教で、「世界は一つ、人類は地球市民」というグローバルで寛容な教えです。戦争の廃止、諸宗教の一致などを説いたため迫害され、バハオラはイランからイラク、トルコを経て今のイスラエルに追われ、そこで没したので、ハイファのカルメル山にバハイ世界センターがあります。
99%がイスラム教徒のイランで、異教徒の私は小学校でよくいじめられました。悔し涙を流しながら家に帰ると、母がぎゅっと抱きしめて、耳元で「愛しなさい」とささやくのです。抵抗すると、母はじっと私の顔を見詰め、また「愛しなさい」と言う。何度もそれを繰り返すので、「はい」とうなずきます。すると、不思議に憎しみが消え、翌日も登校する力が湧いてきたのです。おかげさまで、私には嫌いな人がいません。
ナヒード夫人 私も学校でイスラム教の先生にいじめられましたが、家に帰ると母に慰められ、神様は知っているから憎んではいけないと教えられました。
人を憎まないためには。
マスウドさん ワンラブと無欲ね。それもバハオラの教えです。悪口は人を傷つける毒です。その前に、自分が許されていることを知れば、人を許すことができるようになります。身近な人を批判したがるのは一種の病気で、自分から出る毒は自分も傷つけてしまう。良い行いはいい薬になります。
ナヒード夫人 魂は生まれた時から成長し始めるから、毎日その努力をしないといけません。一番大事なのは奉仕で、魂の栄養になります。人のために奉仕すると、それがやがて自分のためになる。そのためにするのではないのですが、回ってきます。神は罰を与える怖い存在ではなく、限りなく私を愛してくれる方です。その愛を受けて私も人を愛するようになります。神に近づくと嬉しいが、離れると寂しいという心を育てることです。
私は「次の世界」を楽しみにしています。この世に住んでいるのは自分の魂を育てるためで、肉体は成長を終えても、魂は成長を続けます。そして、次の世界にリボーン(再生)するのです。死は肉体の命の終わりですが、魂の命にとっては始まりで、その世界には両親をはじめ先輩たちがいます。バハオラは「死は喜びのメッセージだ」と言っています。この世では魂を成長させることが私たちの義務です。
お二人の出会いは。
マスウドさん 私の父は古美術商で、ニューヨークに会社を開いていました。私は小学校卒業と同時に渡米し、クイーンズ地区の学校に通い、信教の自由を味わいました。イランで1979年にイスラム革命が起こり、帰国できなくなります。大学を出て不動産業を始め、父の遺産でラスベガスに家を買い、母が亡くなったのを機にハワイに引っ越しました。
ナヒード夫人 私の父はミシンなどの貿易商で、女性にも教育が必要だと、姉はイランで看護師になり、次女はドイツに、妹はインドに留学し、私は1978年に友達と二人で来日しました。バハイ教徒が多い神戸に移り、大阪の日本語学校に入った1年後にイラン革命が起こったのです。危ないので帰国しないようにと言う父に紹介されたのが、奈良の取引会社の社長。社長の紹介でロータリークラブの支援を受け帝塚山大学に入り、学生ビザを取りました。授業がない日はバハオラの教えを伝えるため、奈良県下の市長などを訪ね、出会ったのが大和郡山の吉田泰一郎市長です。卒業前に吉田市長が紹介してくれたのが三井造船で、イラン・ジャパン石油化学で翻訳をすることになりました。
しかし、イラン・イラク戦争で事業は挫折し、出社は週に2回だけで、英語やペルシャ語を教えていました。来日8年目に、カナダに移住していた妹を訪ねる途中、経由地のハワイでバハイの若者大会に参加したところ、空港へ迎えに来たのがソバハニだったのです。1週間の大会の最後にプロポーズされ、「日本で暮らすなら結婚してもいい」と答えました。
マスウドさん 彼女の父は私の祖父の親友で、すぐ賛成してくれました。彼女の背景はゾロアスター教で、とてもラッキーな出会いでした。
その後、ナヒードさんのご両親は。
ナヒード夫人 父は投獄され亡くなりました。高松に住み、初めての子供が1歳半の時、父が夢に出てきたのです。私は父に抱っこされ、息ができないので離してと言って目が覚めました。その朝、イランから電話があり、父の死を告げられたので、父が最後に会いに来てくれた気がします。母は2017年に見た夢に出てきました。車で四国八十八箇所を回っていると急にいなくなったので、「お母さん!」と呼ぶと、「心配しないで、ここにいるから」と言われ目が覚めました。イランに電話すると、88歳で亡くなっていました。
苦労しましたが、日本でやってこられたのは、小さい頃からの教育のおかげです。