新型コロナ後のお寺―浄土真宗本願寺派称讃寺住職 瑞田 信弘師に聞く

インタビュー

浄土真宗本願寺派称讃寺住職 瑞田 信弘師

 少子高齢化や未婚者の増加で参加者を身近な人に限る少人数の「家族葬」が増えていたが、新型コロナウイルスの感染防止対策がそれに拍車を掛け、このままでは存続が危ぶまれる寺院も出る状況になっている。著名人の法話講演や終活講座など地域活動にも力を入れている浄土真宗の瑞田(たまだ)信弘師に対応を伺った。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

法事文化 存続の危機
高松市、火葬場同行者5人に制限
IT活用した行事も…

浄土真宗本願寺派称讃寺住職 瑞田信弘師

浄土真宗本願寺派称讃寺住職 瑞田信弘師

称讃寺でも4月10日、宗教学者の島田裕巳さんを迎えての春の永代経法要の「お寺de講演会」が中止になりました。

 島田さんは琴平での「四国こんぴら歌舞伎大芝居」も見るつもりでしたが、それも中止になったので来年に延ばしました。

 大正大学地域構想研究所・BSR推進センターが行った「寺院における新型コロナウイルスによる影響とその対応に関する調査」によると、葬儀の会葬者数が減った(89%)、法事の中止や延期(88%)、法事後の会食の減少(68%)など影響が出ています。「細々と続いていた行事がこれで終わる可能性をひしひしと感じている」「法要のオンライン化なども検討しているが、檀家(だんか)の多くが高齢者なので対応が難しい」などの声もあり、存続の危機に瀕(ひん)しています。BSRは「仏教者の社会的責任」という意味です。

持続化給付金の支給は?

 宗教法人は事業税を納めていないので無理です。

それでなくても家族葬で参列者は減少していました。

 参列者は身近な家族、親族に限り、仕事上の義理での参列はやめるというのが家族葬ですが、コロナの影響で参列者が家族だけ5人くらいになったりして、広い会場にバラバラに座っています。しかも、高松市が火葬場に同行できる人を5人に制限したので、僧侶が行くと親族は4人になります。他の人は葬儀会館で2時間待つしかないので、ご遺骨を迎えての繰り上げ初七日をしない例も増えています。自宅で本当の初七日をするといいのですが、そのままのことが多い。告別式の後、火葬場で収骨して、そのまま解散という葬儀が増えています。葬儀をしないでご遺体を火葬場に運ぶ直葬も多くなりました。

 この傾向が続くと葬儀社をはじめ仕出し屋や生花店など、関連の業種も仕事が減ってしまいます。僧侶も3人で勤めていたのが、2人か1人になっています。檀家が少なく、ほかの寺の葬儀に呼ばれるのを生業にしていた寺では収入が途絶え、存続の危機に瀕しています。

 三回忌、七回忌は家族だけででもしていたのが、十三回忌が境で、それ以降はやめる例が増えています。こうした生活様式が根付くと、次の世代に法事文化が引き継がれなくなり、いずれは仏事が消滅し、運営できなくなる寺が続出するでしょう。それでなくても後継者がおらず、廃寺になる例が増えています。

オンライン化は?

 ある檀家の法事で、横浜にいて参加できないお孫さんのため、Zoomでリモート法事をしました。Lineのグループビデオ通話で中継した時は、途中でスマホの中継が途切れ、その対応で苦労しました。終活のグループでも遠隔会議をするなど、ITを活用して行事や布教をするのを考えるきっかけにはなりましたが、繋(つな)がっている感じはしても、目の前にいる人の顔を見、雰囲気を感じながら話をするのとはかなり勝手が違います。これまで3密の中で仏事をしてきたので、3密がいけないとなると、仏事の簡略化から中止に向かってしまいかねません。

瑞田住職は生きている人のための仏教を進めていますが。

 葬式や法事などの宗教儀式は維持しながら、宗教そのものに関心のある人を引き付けるような取り組みが大切です。それは宗派を超えてアピールしないといけない。

日本仏教の特徴は先祖供養と霊魂不滅、浄土真宗的に言えば後生の大事です。

 それを守り続けることで親族の繋がりを強めてきました。江戸時代のキリシタン禁制がきっかけで生まれた檀家制度は、葬式仏教と批判される向きもありますが、その後、広く定着してきたのは、それが日本人の心性に合っていたからです。

それはそれで守りながら、近世以来のお寺と人々との関係が問い直されている今、例えば、称讃寺でも講演した臨済宗の玄侑宗久さんは「私の仏教」を持つよう勧めています。

 自分の信仰として仏教を根付かせるということですね。仏教の始まりは釈迦(しゃか)が苦行や瞑想を通して悟りを開いたことで、以来、宗派の宗祖らは釈迦の体験を追体験しながら、悟りに至る道を見いだしてきました。

釈迦の弟子たちへの遺言も「自灯明、法灯明」で、自分と宇宙の原則を拠(よ)り所に生きるようにとの意味です。

 そこまで仏教が一人ひとりの中に降りてこないといけないのですね。宗教者としてもっと人々に向き合い、心に寄り添うようにする。信仰とは一人ひとりの心の中に育つものですから。

それを手助けするのがお寺なのでは。

 今の仏教はその前で止まってしまっているのが問題です。人間に生老病死の苦しみがある限り、宗教がなくなることはないのですが、それが生き方として人々の心の中に根付くには、時代や社会の状況に合わせた取り組みが必要です。

 今の高齢者には講座に来るなど学んで成長したいという意欲があります。高学歴の人も多く、自分の生き方として宗教を探求したいという人も増えています。コロナ禍を新しい取り組みの契機にしたいですね。

 本来、死生観はその人なりのもので、いろいろ学んだり、教えられたりしても、自分でそう思い、腑(ふ)に落ちるようにならないと本物ではありません。いろいろ体験し、教養もある高齢者の人たちが、人生の最終期に本物の生き方を求めるようになれば、高齢化社会も違った風景になります。その手助けができるお寺でありたいですね。


 (たまだ・のぶひろ) 瑞田住職は大学卒業後、公立学校教師となり、その後、飲食店を経営する傍ら専門学校講師を務める。1998年、父親の死去に伴い称讃寺第16代住職を継職、2001年に本堂新築落慶法要を行った。FM高松のパーソナリティー、NHKカルチャーセンター講師、終活支援団体の一般社団法人「わ ライフネット」代表理事など務める。著書に『ただでは死ねん』(創芸社)がある。