「ありがとう」は行動で、遊牧民の日常写す

「ありがとう」は行動で

写真家 清水 哲朗氏に聞く

 中央アジアの内陸国の一つ、モンゴル。果てしなく広がる雄大な草原や遊牧民といったイメージに加え、民族的には蒙古斑を持つモンゴロイドのルーツとされており、現代は大相撲でのモンゴル人力士の活躍などを通じて、文化的にも日本との縁が深い。そんなモンゴルの動物や人々の自然な表情を撮影し、紹介して24年目を迎える写真家の清水哲朗さん。モンゴル撮影に人生の半分を捧げてきた男に、モンゴルへの思い入れとその魅力を尋ねた。
(聞き手=辻本奈緒子)

写真を通じ恩返し
魅せられた人の温かさ

モンゴルに興味を持ったのは。

清水哲朗氏

 しみず・てつろう 1975年横浜市生まれ。日本写真芸術学校卒業後、写真家・竹内敏信氏の助手を務め、23歳でフリーランスとして独立。1997年よりライフワークとしているモンゴルでは独自の視点で自然風景からスナップ、ドキュメントまで幅広く撮影している。個展開催多数。写真集に『CHANGE』『New Type』など。

 きっかけは、アシスタント時代に多摩動物公園で出合ったユキヒョウだ。その美しさに惹かれ、モンゴルに生息するという野生のユキヒョウを一度でも撮ってみたいと思った。23歳で独立し、本格的にモンゴル取材を始めた。

いつから遊牧民の日常を撮るようになったのですか。

 モンゴル取材を始めた1997年頃は、フィルムカメラ全盛の時代。200本以上持参していたフィルムは12~13キロあり、それと機材の入ったリュックを背負ってさまよい歩いた。そして1000ミリの望遠レンズでやっと収めたユキヒョウの姿は、四つ切サイズの写真でわずか2センチ。「どこに写っているの」と言われてしまった。その労力を考えると「カメラの進化を待った方がいい」と思った。それから、僕のユキヒョウ撮影のために協力してくれていたモンゴル人の家族や、現地で出会った遊牧民たちを撮ることにした。

清水さんの作品では遊牧民の自然な表情が印象的ですが、彼らに受け入れられるために心掛けたことはありますか。

 彼らの元に一度や二度、客として訪れるうちは、見えるのは「非日常」の風景だ。まずは彼らのペースに合わせて、自分がモンゴル人にならないと、「日常」は撮れない。同じことをして、同じ物を食べ、一緒に笑って、力仕事もモンゴル人に負けないくらいに手伝う。そうして遊牧民の視点で写真が撮れる。モンゴル語や乗馬は誰にも習わず、現地で身に付けた。そして写真はあくまでも「撮れたらいいな」というくらいの感覚が大切だ。

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携帯電話を手にナーダム(国民的祭典)会場の近くで談笑する若い遊牧民調教師たち=2013年7月11日、モンゴル・ウランバートル市郊外で清水氏撮影

 モンゴル北部の森林地帯タイガに住むツァータン(トナカイ遊牧民)を訪ねた時、ある結婚式を撮影したことがある。一年後、その結婚写真をプリントして花嫁の元に届けると、涙を浮かべて喜んでくれた。モンゴル人は「ありがとう」という言葉をあまり使わない。だからこそ、感謝の気持ちは行動で表すよう、心掛けている。

 それから、僕は雨男だから受け入れられやすいというのもあるかもしれない(笑)。モンゴルでは、雨が降った日に初めて会った人は幸運をもたらす人だとされる。年間を通じて降雨量の少ないモンゴルならではの言い伝えだろう。

長年の撮影で苦労したことは。

 北部のフブスグル県で氷点下40度の中3時間ほど撮影し、足の指が10本とも凍傷になった時は大変で、帰国してからもしばらく治療が続いた。南西部のゴビ砂漠では、猛烈な砂嵐に巻き込まれながら撮影に挑むこともある。また、「ニンジャ」と呼ばれる無許可鉱山採掘者の撮影に応じてもらった時、カメラを持ったまま暗闇で彼らと寝泊まりするのには、怖い思いもあった。現地の人すら呆れるくらいだが、それでもモンゴル取材をやめたいと思ったことは一度もない。

モンゴルを撮り続けることへの思い入れは。

 90年代初めの民主化以降、いろいろなことが変わってきたモンゴル社会を、記録して現地に残したいという気持ちがあった。友人の現地人写真家と写真集を作る計画の最中、彼が航空機事故で亡くなった。その時に「彼の仕事を自分が引き継ぎたい」という使命感が生まれた。

 そしてモンゴル取材を始めてから15年、それまでの変遷をまとめた写真集『CHANGE』を現地で出版した。これはデザインも、印刷も、すべて現地で完結させ、それを亡くなった友人の奥さんにはもちろん、出版までの過程でお世話になったオーストラリアに住む人にまで、直接届けた。郵送すれば簡単だが、あえて足を運んで渡して感謝を伝えることにこだわった。写真を通じて恩返しができたのではないかと思う。

 写真は確実に押さえられるものを撮ることと、予想外のチャンスがきた時に備えることが大切だ。それがないこともあるが、そのホームランを捉えてしまうとやめられない。

モンゴルの好きなところや現地での思い出は。

 モンゴル人はとにかくいい人たち。日本から来たというだけでどんな人かも分からないような自分を一生懸命案内してくれる姿を見ると、どうしても憎めない。遊牧民と関わる中で、日本人が忘れていた人の温かみを教わった気持ちになる。

 またある時、「虹を見たことがない」という長女をモンゴルに連れて行った。遊牧民の家に泊まり、念願の虹も見せることができた、良い家族サービスになった。

これから挑戦したいことはありますか。

 モンゴルが変わり続ける限りはネタは尽きない。最近は現地の若手写真家も増えてきたこともあり、僕の役割も当初の目標だったユキヒョウ取材に切り替えつつある。50代を迎えるに向けて、国内取材も増やしている。また突然目標が降ってくるかもしれないが、今はそれが楽しみだ。