「武州里神楽」の伝統と革新

神と人をつなぐ伝統芸能

十世家元 石山裕雅太夫に聞く

 埼玉県新座市野火止に、無形文化財「武州里神楽」石山社中がある。石山裕雅さんは、この関東でも最も古い正統神楽太夫一家の十世家元。伝統を守る一方で、令和の時代に革新し続ける石山さんの思いを聞いた。
(聞き手=森田清策)

天地万物に感謝し祈りささげる
縄文文明に日本人と神楽のルーツ

石山家の歴史は。

石山裕雅太夫

 いしやま・ひろまさ 昭和46年生まれ。縄文・神道・陰陽道の流れを受ける神楽を追求する一方、焼酎「里神楽」、スイーツ「里神楽」をプロデュースするなど、情報発信に取り組んでいる。「奉縄文神楽」の問い合わせ先はオフィス「KAGURA座」(090‐3576‐4631)

 石山家は、旧川越街道沿いに約300年続く。江戸時代から神主、神楽、そして農業を営んできた。かつては陰陽(おんみょう)師もやっていた。今風に言うと、“神っている”一族だった。

かつては神社の祭りなどで神楽をよく見た。

 神社で奉納するのが、神楽の中心的・歴史的な活動だった。しかし、米国に戦争で負け「神の国」が危険だということで、神社が衰退した影響で神楽はどんどんなくなり、多くの社中が絶家した。明治の初めごろは、東京・埼玉だけで60社中あったが、今は数社中しか残っていない。

里神楽の特徴は。

 天岩戸(日本神話に出てくる岩の洞窟)の前で、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞い踊ったというのが神楽の始まりと言われている。

 神様に祈りを捧げる、感謝を捧げるという発祥の神楽があって、あとは大きくは「御神楽」と「里神楽」に分かれる。前者は皇室の祭儀として宮中で行われる神事芸能。それ以外の全国各地で行われる神楽が、広い意味での里神楽。その中には、高千穂神楽や備中神楽など特定の地域だけで行う神楽があるが、私どもは、いろんな神社に出向いて、その神社に祭られている神様に適した神楽を演じる。だから、里神楽の中の里神楽と言える。

 かつては本殿に向かって奉納していたのが、次第に神様を背負って、人の方に向けて演技をするようになっていった。一般の人を入れた場合、物語があった方が面白いということで、古事記や日本書紀の神話を台本にするようになった。大蛇退治や大国主(おおくにぬし)神の国譲りなどだ。テーマとなっているのは、天地の恵み、恐れ、感謝、畏敬の念。

十世を継ぐことに抵抗はなかったか。

 父に無理矢理やらされ、抵抗した。芸事は大嫌いで、小学生の頃、舞台に出ていて、それを同じ年齢の子供が見るわけで、それが恥ずかしかった。

 小学6年で、先生を連れて来るから、笛を習いなさいと言われた。それは石山家の嫡男に生まれた使命だ、それが嫌なら家を出て行け、とも。

 それで、父親の覚悟を感じたので、笛を習ったが、3カ月間、音が出なかった。笛は難しく、鳴らない人は多いが、4カ月目に入ろうという時、突然、音が出た。しかし、なぜ鳴ったのか分からない。笛は奥が深く、これまで舞台で突然2回鳴らなくなったことがある。それもなぜか分からない。

 笛のエネルギーは息。息は「自(みずから)の心」と書く。この漢字の作りにも深さがある。二十歳過ぎに、名手の演奏を知り、「こういう笛を吹きたい」と覚醒した。

 舞もまたなかなか面白くならなかった。でも5、6年経(た)つうちに、変わった。今は、どちらかというと、舞うほうが楽しい。装束を付けていく中で、普段の自分から明らかに変わる。一つの変身願望。しかもそれが神に類するものであると、気持ちが豪快になる。

舞うことで心が浄化されることもあるのでは。

 自分がこの家を選んで生まれてきたと思うようになった。命のバトン、伝承のバトンを10番目につなぐ役割を持っている。演技中にそう思うことがある。

 それから、舞っていて開眼する時がある。異常体験というか、最近で言う「ゾーンに入る」。舞台で飛ぶ型があるが、その時、滞空時間をすごく長く感じ、上から人の脳天を見るような感覚だった。神の存在を感じる瞬間でもある。

 それから、幕内にいる時、社殿の奥にあるご神体になった感覚や、舞台では何百年も前から大地に根を張っているご神木のように天地につながって、体幹がぶれない感覚を持った。そのミステリアスな体験は神楽ならではのものだろう。

時代に合わせて、神楽を広めるための工夫は。

 一つには、神社からの依頼だけでは先細りするので、自らが主催する公演を多くやっている。また、「カグラッ子プロジェクト」を立ち上げた。

 長男が2歳の時、ある方から「神楽をやっているあなたのような所に生まれたお子さんは、可愛いだけではなく尊い子供に育ててください」と言われた。それがきっかけで、自分の子供だけでなく、一般の子供さんにも私の持っているものを伝えて、礼節や親を大事にする、先祖を敬う子供を一人でも増やすことに取り組んでいる。尊い子供を育てる手助けプロジェクトだ。

9日夜、「奉縄文神楽―再生の章―」(自由学園明日館講堂)の舞台を行うが、「縄文」を冠しているのは。

 縄文文明を学ぶと日本人と神楽のルーツを感じる。縄文の1万数千年間、平和だったというのは世界史的に例がない。その中で天変地異が多く、協力し合わなければ生きていけなかった。それが「和」や、あらゆる物に神が宿るという発想につながる。天地万物に感謝し、祈りを捧げることを芸能化すると神楽になる。

 神楽は最古の芸能。人に見せて分かりやすい演技形態にすることは一つの進化だが、ある意味、原点から離れて行く行為でもあって、原点回帰をしたいという思いがあった。

 原点回帰のブレーキがあるから、アクセルも吹かせる。伝統と革新とも言える。ただ革新を言っていては、根幹から離れる。それでは一過性で流行るかもしれないが、あっという間に廃れる。

 少なくとも石山家には、300年続いてきたという実績がある。能は観阿弥、世阿弥で大成されたのは670年ぐらい前になるが、始まりは創作だった。既成の芸能や身分差別の中で認知されるまでどれだけ大変だったか。創業の精神にはパワーが必要で、その精神を後の人たちが引き継いできたから今に残っている。だから尊い。