白鵬引退 問われる親方としての力量


大相撲の横綱白鵬関が現役引退を申し出た。
 圧倒的な強さで数々の大記録を打ち立てる一方、荒っぽい取り口や横綱らしからぬ言動が物議を醸した。今後は親方としての力量が問われる。

白鵬が全勝優勝、なりふり構わず照ノ富士を破る

全勝優勝を果たし、日本相撲協会の八角理事長(右)から賜杯を受け取る白鵬=18日、愛知・ドルフィンズアリーナ(時事)

歴代最多の45回優勝

 白鵬関は2000年秋にモンゴルから来日。当時の体格は175㌢、62㌔で、幾つかの部屋に入門を断られ、いったんは帰国便が手配された。宮城野部屋に拾われる形で入門し、大量の牛乳やちゃんこで体をつくり上げるとともに、天性の柔軟さやしなやかな足腰の動きを四股やてっぽうで磨き続けた。

 01年春場所で初土俵を踏み、07年夏場所後に22歳で69人目の横綱に昇進。卓越した反応の良さと鋭い寄りで優勝を重ねた。10年には、63連勝を記録して双葉山の69連勝に迫ったほか、2年続けて歴代最多の年間86勝を挙げた。

 そして15年初場所で「角界の父」と慕う大鵬を超える33度目の優勝。17年名古屋場所では歴代最多の通算1048勝とし、18年秋場所で前人未到の幕内1000勝に到達するなど偉大な記録を次々と打ち立てた。

 しかし長く右膝の古傷などに苦しみ、近年は休場することも多かった。今年7月の名古屋場所では自身の歴代最多記録を更新する45度目の優勝を全勝で飾ったが、先の秋場所は同部屋の力士に新型コロナウイルス陽性者が出たため休場していた。東京五輪まで現役を続けることを目指していた白鵬関としては、五輪終了後の今が引退の潮時と考えたのだろう。

 白鵬関の功績は多くの記録の樹立だけではない。同じモンゴル出身の朝青龍関が知人への暴行で10年初場所後に引退してから、一人横綱として角界を支えた。当時は野球賭博や八百長などの不祥事が続発し、相撲人気が低迷する中、11年5月の技量審査場所で最多の7連覇を達成した。この時の白鵬関の頑張りが人気回復につながったと言っていい。

 一方、審判への不満を公然と口にしたり、優勝した後の表彰式で観客に万歳三唱や三本締めを促すなど、横綱としての品格が問われることも少なくなかった。今年の名古屋場所千秋楽の照ノ富士関との一番では、かち上げや張り手を使って勝利したことで批判を招いた。

 相撲は単なるスポーツではなく、神事でもある。土俵は神の降りる場所で、取組の前に塩をまいて穢(けが)れを払い、土俵入りで地下の悪霊を踏み鎮める。横綱に品格が求められるのは、このためだ。

 横綱審議委員会の矢野弘典委員長は白鵬関の引退申し出を受け、実績をたたえる一方で横綱らしからぬ荒っぽい土俵内容などには厳しい見方を示した。「(今後は)弟子の育成に当たることになると思うが、こうした点を十分に反省して相撲道の良き伝統を伝えてほしい」と期待を込めた。

心技体に優れた力士を

 横綱として数々の大記録を打ち立てた白鵬関に、親方としても期待がかかるのは当然だろう。相撲の長い歴史と伝統に誇りを持ち、心技体に優れた力士を輩出してほしい。