宜野湾市長選、辺野古移設反対一辺倒に限界
激震・翁長県政 「オール沖縄」の凋落(上)
作られた「民意」にノー
宜野湾市長選、県議選、参院選と、米軍普天間飛行場の辺野古移設が争点となる選挙が続く沖縄の「選挙イヤー」の皮切りとなった宜野湾市長選で現職の佐喜真淳氏が大勝した。一方、辺野古移設反対を訴える「オール沖縄」勢力が急速に力を失い、その中心的役割を担った翁長雄志知事の求心力低下は否めない。
(宜野湾市長選取材班)
佐喜真氏の最大の敵は相手候補ではなく「オール沖縄」という作られた民意だった。「オール沖縄」は、宜野湾市の真ん中にある米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対するというシングルイシューで集結した。その先頭に立ったのが翁長雄志知事だ。佐喜真陣営は「現職の強み」にとらわれず、強い危機感をもって取り組んだ結果、大差がついた。
翁長氏は志村氏と二人三脚の選挙戦だった。年末から精力的に宜野湾入りし、告示後は公務をほとんど入れずに連日、遊説した。打ち上げ演説で「100%まるまる志村候補と一緒に遊説を続けてきた」と述べ、「辺野古新基地は絶対につくらせない。その気持ちで日本の政治を変えていこう」とアピールした。
「オール沖縄」陣営は、“英雄”である翁長氏を前面に出し、志村氏の知名度の低さを補うことで勝ち目があると考えた。捨て看板やチラシなど印刷物でも翁長氏が目立ち、候補者と見紛うほどだった。新聞の全面広告では、候補者の顔は隅に小さくあるだけで、翁長知事の大きな写真が使われた。
佐喜真陣営は「戦っている相手は志村氏ではなく、翁長氏とそれを支える革新勢力だ」とし、宜野湾市長選をイデオロギーや政治目的達成のために利用する翁長氏に対抗し、「宜野湾市のことは宜野湾市民が決める」というスローガンで臨んだ。
志村陣営の演説は安倍政権批判、佐喜真氏の悪口が目立った。批判ばかり並べるネガティブビラも大量に配布された。さらに、打ち上げ演説では宜野湾市の経済発展ビジョンについて語る弁士は一人もいなかった。これでは「宜野湾市民を愚弄している」(佐喜真選対の安次富修本部長)と受け止められても仕方あるまい。
翁長氏が反基地運動の先頭に立つきっかけとなったのは、2012年に普天間飛行場に新型輸送機オスプレイが配備されたことだ。同年9月9日に宜野湾市で開催された「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」の共同議長に就任し、翌年1月28日には東京で要請行動を行った。その際、県民大会実行委員会、沖縄県議会、沖縄県市町村関係4団体、市町村、市町村議会の連名で建白書を内閣総理大臣宛に提出した。
これを機に、翁長氏は革新勢力と一部の保守勢力を抱え込み、辺野古移設反対運動のカリスマ的リーダーとなった。辺野古移設が争点となった名護市長選、県知事選、衆院選4選挙区で勝利し、辺野古移設反対が「オール沖縄の民意」と主張してきた。
ところが、それ以降、沖縄市、浦添市、豊見城市、石垣市、東村の首長選で翁長氏が推す候補は敗北。辺野古が焦点にならない選挙での弱さを露呈した。
翁長氏は一昨年に知事に就任して以来、普天間飛行場を一度も視察していない。安全保障面で危機意識の高い離島地域との温度差もある。台風被害に遭った与那国島には一度も入らず、石垣市の視察までかなりの時間を要した。また、沖縄副知事や外郭団体トップの人事をみても明らかなように、自分の考えに合わない人物や自治体は無視または排除する傾向が顕著だった。






