宜野湾市長選、翁長氏の求心力低下へ
激震・翁長県政 「オール沖縄」の凋落(下)
菅長官、“周到な準備”で勝利
政府の米軍普天間飛行場の辺野古移設方針は確固としており、宜野湾市長選の結果には左右されない。国の安全保障に関わる問題なので、「一部地域の選挙で決定するものではない」(安倍晋三首相)ためだ。
とはいえ、沖縄では移設先の辺野古がある名護市長選(2014年1月)、建設の手続きに関わる沖縄知事選(同年11月)、さらに同年12月の衆院選4選挙区でことごとく辺野古移設反対派が勝利しており、それが翁長雄志知事が辺野古移設に反対する名分の「沖縄の民意」や「オール沖縄」を支えていた側面がある。その反対派の勢いがさらに高潮するか、あるいは退潮へ向かうのかを占う試金石となったのが今回の宜野湾市長選だ。今年の夏は県レベルでは県議選、国政レベルは参院選が控えているため、その政治的な意味は決して小さくなかった。
安倍首相が25日の自民党役員会で「大きな、勇気づけられる勝利を得ることができた」と述べたのは率直な実感だろう。「これからも沖縄と対話を積み重ね、基地負担軽減、沖縄振興に取り組んでいきたい」と語り、辺野古移設を着実に進めることを誓った。
辺野古移設問題を実質的に取り仕切る菅義偉官房長官(沖縄基地負担軽減担当)は同日の記者会見で「『オール沖縄』という言葉は実態と多く懸け離れている。今回の結果は、市民がさまざまなことを考えて判断したのだろう」と述べ、「オール沖縄」を一蹴した。
菅氏は移設反対一辺倒で国との訴訟まで起こした翁長知事に対し、昨年8月から政府と沖縄県との集中協議の場を作って政府側として説明を尽くしたほか、普天間基地跡地へのディズニーリゾート施設誘致に協力し、名護市辺野古周辺3地区への振興費の直接支給、来年度予算で沖縄振興費10億円増額など、地域振興に向けて精力的に動いた。
また菅氏は、前面に立って財務省や自民党税調幹部の反対を抑え、消費再増税と同時の軽減税率導入で公明党の要求を丸のみしたが、その直後に公明党が宜野湾市長選に向けて本格的に動き始めた。菅氏が選挙に向けてさまざまな面で周到な準備を行っていたことがうかがわれる。
辺野古問題の原点である米軍普天間基地の返還が日米の外交課題となったのは1996年2月、当時の橋本龍太郎首相が最初の日米首脳会談で返還問題を持ち出したことにさかのぼる。同年4月には、橋本氏とモンデール駐日米大使(当時)が「普天間基地の移設条件付返還」で合意した。今年で20年にもなる政府合意が一歩も進んでいないのは、日米同盟を揺るがす大問題だ。
06年5月には両国政府が辺野古沖現行移設案を含む米軍再編協議の最終報告「再編実施のための日米ロードマップ」で合意し、これに沿って政府は移設準備を進めた。それを白紙化しようとして、政府と沖縄、日米の間に拭いがたい不信感を植え付けたのが民主党政権だった。
当時の鳩山由紀夫代表が「最低でも県外」と述べて沖縄の“パンドラの壺(つぼ)”を開けた民主党は今回、沖縄県連が志村恵一郎候補を支援。岡田克也代表は26日の衆院本会議の代表質問で、辺野古の工事を直ちに中断し「国と沖縄県双方の信頼関係を築くことから始めなければならない」と政府に注文し、強い批判を浴びた。
今回の宜野湾市長選では、「オール沖縄」のなりふり構わぬ選挙戦術は通用しなかった。翁長知事と国との裁判闘争の判決が春には出るが、国の優位は揺るがない。翁長氏の求心力低下が始まったと言える。
(宜野湾市長選取材班)






