「公明」で自公20年 政策より「政治の安定」

修羅場を乗り越え連立

 公明党の機関誌「公明」10月号は、公明党が自民党政権との連立に加わった1999年10月から20年という節目に、「連立20年目の自公政権―政治の安定と改革の『要』の役割担う」と題した公明新聞党史編纂班による記事を載せた。

 20年間で、政権には2009年09月の民主党政権発足までと12年12月から今日までの17年近く就いている。同誌は内外の有識者の指摘から、自公の連立を異例の長さであると同時に政治の安定をもたらした―との評価を挙げた。

 一方、自民党と違う政策について、「平和や弱者の観点」を公明党が担い、「保守」と「中道」の相補的な組み合わせが機能しているといい、「生活者の政治」「弱者の味方」「平和の党」「福祉の党」「教育の党」としての政策を自公連立を通して実らせたと主張した。

 同誌は公明党について、「イデオロギー優先でなく生活者中心、対決一辺倒でなく合意形成の政治、左右の極端に走らず、かつ、急進的ではなく漸進的、といった発想と行動様式を貫く」と述べている。

 総じて、うまくいっているという印象である。しかし、もともと公明党は反自民の野党であり、自公連立に至るまで修羅場を演じている。93年衆院選で野党8党会派が自民党を破り、公明党も初めて連立政権に参加。その後は国政の公明党は解散して新進党に合流、新進党の解散を経て98年に公明党は再結党した。

 90年代の政界再編は、昨日の敵は今日の友の状況だった。93年発足の反自民政権は反自民のはずの社会党が自民党と連立を組む造反で頓挫、その自社連立も98年に解消、次は93年に自民党を割った小沢一郎氏のグループが自由党として自民党と連立を組む…などだ。

 自公も例外ではない。95年、新進党の参院選躍進の後に自民党は池田大作創価学会名誉会長への国会証人喚問を要求、その代わりに秋谷栄之会長参考人招致が実施された。公明党が政策だけを物差しにできる事情なら、98年に再結党し、民主党と組む選択肢もあったはずだ。同誌からは、自民党の政策を連立政権内で抑制していくという開き直りが感じられる。

編集委員 窪田 伸雄