孫の奪い合い


 久しぶりに訪ねた親戚で、奥さんが諦め顔でぼやいた。

 「うちでは、保育園に通う孫のお迎えは、あちらのお母さんがやっているのよ」

 農業を営む、この家の跡取りは一人息子。結婚するのが遅かった上、なかなか子供が授からなかった。話に出た保育園児は、奥さん夫婦にとって、たった一人の孫で、かわいくないはずがない。

 ご主人は初孫の誕生を「それまで暗かった家に灯(あか)りがついた」と喜ぶ。夫婦ともに「目に入れても痛くない」と思っていることが伝わってきた。

 孫の迎えをする「あちらのお母さん」とは、同じ市内に住む嫁の母親。悪気があってのことではないと知りつつも、嫁に出した娘の子供に関与し過ぎるのは「非常識だ」と、憤慨するのだ。嫁が実家の母親に頼んでいるとすれば、かつての農家のしきたりからすれば、それもまた筋違いではないか。かといって、やっと見つかった嫁と仲たがいしたくないので、我慢するしかないというわけだ。

 嫁の両親に、何人のお孫さんがいるのかは分からないが、もし内孫がいれば、嫁に出した娘の子供にまで時間を割く余裕はないはず。孫の取り合いにも、少子化の影がちらついてくる。この家のご主人はこんなことも吐露した。

 知り合いの家に寄った時、孫が生まれ、残りわずかな人生に「新たな生き甲斐(がい)ができた」と話した。「良かったな」と、その知人が喜んでくれるものとばかり思っていたら、「あんたはいいよな」と言って、会話が途切れてしまった。知人には孫がいなかったのだ。「だから、外では、聞かれでもしなければ、孫の話はしないようにしている」という。

 筆者の実家も農家だ。帰省すると、どこそこの家には「後継者がいない」「嫁が見つからない」という話ばかり。嫁の実家と孫の奪い合いをするのは幸せな方かもしれない。8月末、家を継ぐ兄の長男夫婦に2人目の子供が生まれる。

(森)