人生最後の日だったら……
高齢者の終活がメディアでも盛んに取り上げられる。いつ“お迎え”が来ても安心と思えるからなのか、そうした人たちの表情はどこか晴れやかな印象さえ受ける。何かで読んだが、末期の病気の患者もある境地に達すると、それまでの人生以上に豊かな時間を送るという。いずれにしても、死を意識することは人間の幸福にとって重要な意味があるということだろう。
アイフォーンなど革新的な製品を生み出し、2011年に死去した米アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏は、04年にがんで余命宣告をされ、医師からは身辺整理をして家族に別れを告げるよう言われる。
直後の05年、ジョブズはスタンフォード大学の卒業式で次のようなスピーチをしている(『スティーブ・ジョブズ全発言』PHPビジネス新書)。
彼は17歳の時、「毎日、これが最後の日と思って生きるなら、いつかきっと正しい道に進むだろう」という言葉に出会う。「以来33年間、毎朝鏡を見つめて自問自答しています。『もし今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うか?』と。もしノーの答えが何日も続けば、何かを変える必要があるとわかるのです」。そして、自分がもうすぐ死ぬという認識こそ重大な決断をする上で最も役に立つ、と語っている。
ちなみにジョブズは生前、日本人の禅僧を精神的指導者と仰いでおり、アップル製品のシンプルなデザインには禅宗の影響があったと言われている。
死を教えることを通して生を考えさせる教育を実践している教師もいる。一方、生と死は、文化的、伝統的に宗教が教えてきた部分が大きいが、今の学校現場では宗教を語ることが難しくなっている。「命の教育」にしても宗教心に気付かせることによって、「命を大切にする」という意味がより強く子供たちの心に根付くのではないか、と思う。(誠)