「公民」の可能性と課題について探る

日本公民教育学会が春季シンポジウムを行う

 今年度行われる高等学校学習指導要領における「公民(仮称)」の改訂の方向性についてと題した日本公民教育学会春季シンポジウムがこのほど、東洋大学白山キャンパスで行われた。「政治的主体、経済的主体、法的主体、さまざまな情報の発信・受信主体」の育成をそれぞれ目指している団体の研究者が「公共」の可能性と課題について語った。

樋口雅夫・文科省教育課程課教科調査官

知識中心から「生きる力」育成へ-「公共」について

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 今回の学習指導要領の改訂は、さまざまな状況(政治・経済・文化活動など)がグローバル化し、少子高齢化で労働人口が減少する中で、子供の資質・能力をどのように向上させるか、がポイントとなる。米国を中心にした「21世紀型スキル」とかOECD(経済協力開発機構)の「キー・コンビテンシー」とも重なる部分が多い。知識中心だった「社会科」の授業から「生きる力」をどのように育成するかを考えている。

 公民教育は伝統文化に立脚し、高い志や意欲を持つ、自立した人間として他者と協働しながら価値の創造に挑み、未来を切り開いていく力が必要と考えている。授業を通して「公共的な空間」をつくる主体であることを学び、選択・判断する基本的概念や知識を学ぶ。その上で自立した主体として国家・社会の形成に参画し他者と協働する。持続可能な社会づくりの主体となる、ということ。

蓮見二郎・九州大準教授

生徒の主体的考察が授業の目的-政治的主体を育成する立場から

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 現代社会の諸問題に対して、政治的な観点からの知識蓄積はもちろんだが、生徒が主体的に認識を深め、考察し、自覚させることが授業の目的。公共的理性能力の要請は、例えば、世俗的市民に有利な一方、宗教的市民には不利になる事象もある。多くの熟議民主主義論がそうであるように、自己変容を求めるものであると、なおさらである。

 政策、政治制度、政治参加の三つのレベル全てで公共的理性が求められる。政治的主体のレベルとして、政策は個々の政策についての公共的な選択・判断であり、政治制度は政策一般を決定するための枠組みについての公共的な選択・判断、政治参加は政策や制度に対する公共的な影響力行使を意味している。

 公共的理性は政治的主体にとって「論拠に基づく議論」の第一論拠、「選択・判断の基準」の第一の基準に当たる。これは、議論で提示される理由に善しあしを弁別する能力も必要になってくる。

水野英雄・椙山女学園大準教授

経済は「実学」的なことを教材に-経済的主体を育成する立場から

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 学校ではお金(経済)の話はご法度、という時代からグローバル経済の時代になり、企業名は出さないという時代から産学連携の時代になってきた。経済は生徒の側では分かりにくい、先生の側では教えにくい、ということで、高校ではほとんど学んでいない大学生が多い。物売りをして商売の基本を学んだり、株価の動きはどうなって決まっているのかを学ぶ「実学」的なことを教材にすると分かりやすい。

 国内総生産の定義としてY(GDP)=C(消費)+I(投資)+G(政府支出)+EX(輸出)-IM(輸入)。この式を用いると、円高・円安による景気動向が分かりやすいものになる。また、今の教科書はマルクス経済VS近代経済、資本化VS労働者、自由貿易VS保護貿易という考えが併記されており、教える側の価値観が入ることへの問題もある。高校は政治と経済をバラバラに教えている。経済問題を解くための政治であり、経済問題をルール化するための法律である。

橋本康弘・福井大教授

判断基準の持ち方の教育も重要-法学的主体を育成する立場から

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 生徒が法律や制度を理解し、変革できるような個人になってほしいという願いが「公共」には含まれている。見識のある「法的主体」を育てるためには、法的な論争問題に対して、多面的多角的に考察するプロセスを重視する。

 ある学校の授業で、ハイジャックされた航空機がベルリンに突入しようとしている。「撃墜すべきか? せざるべきか?」という問いに、最初は多数を救うため撃墜、という意見が多かった。だが、個人の命は大切、撃墜すべきではないという意見が多くなった。最終的に「奪回する可能性があるから、それを見極めてから」という第三の道を示す意見が多くなった。

 基礎となる知識を教えるのはもちろんだが、考え方の基礎、判断基準の持ち方を教えることも重要。必要な考え方、知識の活用ができるよう、別途教育的な指導を考える必要がある。

鴛原進・愛媛大教授

新聞で学ぶ事実の形成過程紹介-情報の発信・受信主体を育成する立場から

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 ネット社会の昨今、情報が氾濫する中で発信・受信の主体として「国会・社会の形成に参加し、他社と協働」できるような生徒を育てるにはどうすればよいか。

 そのためには「公共」で何を、どのように学習し、「公共」での学びの特質(現代社会や倫理、政治、経済)との差異、共通点をどのように教えるか、教科書をはじめ、教材の在り方など学びの姿をどう示すか、が課題となっている。

 社会にあふれる情報から事実が出来上がるまでに過程を紹介することも必要。例えば、新聞が出来上がるまでに何人の記者が関係者を訪ね、どれだけ勉強して記事にし、どれだけ多くの人が関わって家庭まで届いているのかなど、知識を蓄積し、考え、意見を発表することが必要だ。