日韓の理解・融和を願い、札幌市で講演会

「今こそ思想を学ぶ価値がある」

 戦後、最も関係が冷え込んでいる日本と韓国。互いに新政権になっても未だに首脳会談が開かれず、異常な事態が続いている。関係改善には何よりも対話が必要だが、そのためには草の根レベルでも両国の文化や歴史を知ることが不可欠。そうした中で、2年前に設立した金玉均研究会(会長、卞東運氏)は定期的に専門家を招いて講演会やセミナーを開催している。(札幌支局・湯朝 肇)

金玉均研究会、朝鮮近代史をテーマに研究報告

日韓の理解・融和を願い、札幌市で講演会

3月14日、札幌市内で開かれた金玉均研究会の講演会

 「金玉均については日本の中学校の教科書に名前が載っている程度。また、韓国内に金玉均に関する資料が沢山残っているわけではありません。ただ、知られていない歴史に光を当てることはとても大事なことだと思います」

 3月14日、札幌市内で開かれた金玉均研究会で講師の韓永學・北海学園大学法学部教授は、こう語って金玉均の生涯と当時の時代背景について説明した。

 金玉均は19世紀後半、韓国では開化派として知られた人物であった。また、科挙試験を首席で合格し、書や囲碁などの達人で博識高い文化人でもあった。

 1884年12月4日にクーデターを起こし、韓国における近代化を図ろうとしたが、清国の介入によりクーデターは失敗し、日本に亡命する。いわゆる「甲申政変」と呼ばれる事件である。

 日本に亡命した金玉均は、しばらくの間東京で過ごす。しかし、身の危険から小笠原諸島で拘留され、その後1年8カ月間、北海道に滞在している。

 同研究会は、金玉均の出生地から始まって亡命先の日本での足取りを研究することで、彼が韓国の近代化にどのような思いを馳(は)せていたのか、あるいは日韓両国の関係をどのように築こうとしていたのか、を探ろうというのが狙いだ。設立は2013年10月だが、これまで2カ月に一度の割合で講演会やセミナーを開催している。

 この日講演した韓教授は甲申政変の経緯について、手順を追って説明した。すなわち、当時の李氏朝鮮における朝廷内には鎖国状態を維持させようとする守旧派と日本の明治維新にならって開国し、近代化を図ろうとする開化派との対立があった。

 また、朝鮮皇室内にも権力の保持・奪還をめぐって国王高宗、大院君(高宗の父)、閔妃(高宗の妃)らの確執があったこと。さらに、そうした朝鮮の内実に呼応して日本や清、ロシアなどの周辺諸国が露骨に干渉していった。

 とりわけ、金玉均が武力政変を計画実施した背景について同教授は、「度重なる事大党(閔氏戚族ら守旧派)の妨害や陰謀に不満や危機感を膨張させていったこと。さらに、閔氏政権打倒と清朝の束縛からの解放のため先制攻撃を決意していったと思う」と指摘。

 その上で、金玉均の行動に対しては、「近代国家樹立のための最初の革命・進歩改革運動であったことは間違いない。しかも自主独立の確立、中世封建国家体制の打破、腐敗排除など金玉均は画期的な思想の持ち主だった」と肯定的に評価した。

 その一方で、クーデターが失敗したことについては、①準備の緻密が欠如していた②当初から開化派勢力が劣勢であった③民心獲得に失敗であった④日本の援助を過信した⑤結果的に外勢の干渉・侵略を招来した-などの点を挙げ、クーデターには否定的、懐疑的評価を下した。

 講演は休憩をはさんで2時間以上に及んだが、札幌市内だけでなく、小樽や千歳など近隣市町村から30人ほどが参加した。

 札幌市在住で歴史研究家であり、同会会長の卞東運氏は「金玉均は日本の植民地支配に利用されたという人がいるが、私はそうは思わない。むしろ、日本を利用してでも韓国の近代化を図ろうとしたのではないかと思う。彼は西欧列強に対抗するための『3和主義』を唱えアジアの融和を主張していたが、こういう時期こそ金玉均の人と思想を学ぶ価値がある」と訴える。同会では次回の講演会を5月に予定している。