伝統芸能受け継ぐ子供たち
石川・金沢市の「加賀宝生子ども塾」
伝統芸能の能楽「加賀宝生(かがほうしょう)」の盛んな金沢市では、その技を子供たちにも受け継いでもらおうと、「加賀宝生子ども塾」を開いている。日頃の稽古(けいこ)の成果を披露する発表会が、来月、石川県立能楽堂で上演される。伝統芸能のすそ野を広げようと始まった取り組みで、回を重ねるにつれ、伝統文化を大切にしていこうとする心が育っている。(日下一彦)
2年間の稽古の成果披露、来月県立能楽堂で発表会
同塾の発表会は、今回で第13回を数え、春の恒例行事として定着してきた。今年は3月8日(日)、特別名勝兼六園近くの石川県立能楽堂の能舞台で上演される。当日は小・中学生の塾生24人と、同塾を卒業した高校生や大学生らで構成される「梅鴬会(ばいおうかい)」の会員、そして狂言師の野村祐丞(ゆうじょう)師について能楽を学んでいる「おかし研祐会(けんゆうかい)」の子供たちを含め、総勢44人が晴れ舞台に立つ。
これまで何回か発表会をみたが、重厚なヒノキ造りの能舞台に、子供たちが藍(あい)色の紋付に灰色の縦じまの袴(はかま)姿で勢ぞろいし、謡(うたい)や仕舞(しまい)、狂言を演じる姿は緊張感とともに初々しさがあふれていた。客席を埋めた両親や祖父母も、子供たちの成長の跡に目を細めながら、手持ちのビデオ撮影に取り組む様子が見られた。
同塾は平成14年4月、金沢市が市指定無形文化財「加賀宝生」の後継者育成を目指して開講した。加賀宝生を子供たちに教えることを通して、能楽が持つ美しさや礼節など、固有の文化性を人づくりに生かすとともに、金沢の伝統芸能を次代に引き継ぐためのすそ野の拡大を目指している。
募集は毎年4月に始まり、小学3年から中学2年までの子供たちが月2回、2年間のカリキュラムで「謡・仕舞教室」と「狂言教室」に分かれて稽古に励む。「謡・仕舞教室」では能楽の花形シテ(主人公)やワキ(脇役)、お囃子(はやし)などを学び、「狂言教室」ではその所作を教わる。
特に基本となる歩き方は、扇を開いて頭に乗せて落ちないようにすり足で歩くことが求められる。子供たちは最初のうちは戸惑うが、稽古を重ねるにつれて上達していく。さらに声の出し方、身振り手振り、立ち居振る舞いと続く。教えるのは宝生流能楽師の藪俊彦師はじめ、重要無形文化財保持者ら一流の講師陣で、能楽の基礎から手ほどきを受ける。
同塾で特筆されるのは、全国初の独自のテキスト本「加賀宝生子ども謡本」を制作していることだ。能楽に触れる機会がほとんどなかった子供たちばかりなので、難解な謡を分かりやすく学んでもらうための工夫が凝らされている。社団法人金沢能楽会の協力の下で、能の代表作「羽衣(はごろも)」と「土蜘(つちぐも)」「鶴亀(つるかめ)」「橋弁慶(はしべんけい)」の4作品に、加賀宝生の歴史や謡の意味、仕舞、狂言、小鼓(つづみ)などの囃子方など、能楽のエキスを体系的に分かりやすく紹介。特に素謡は、そのままでは字が読めないので、カタカナでフリ仮名をつけ、意味もていねいに解説している。
「加賀宝生」が金沢で広まるきっかけを作ったのは加賀藩前田家の五代藩主綱紀で、それ以前は藩祖利家の頃から金春(こんぱる)流が盛んだった。綱紀が宝生流の能役者を手厚く保護し、それ以降の歴代藩主は宝生流を愛好した。その一方で、藩は細工(さいく)所の職人たちにも能楽の一部を兼芸させ、教養を高めさせると同時に能の人材として育成し、領民たちにも奨励した。こうした背景があって、金沢は能楽の盛んな土地柄となった。
保護者からは「金沢に住んでいて、加賀宝生の名前はよく聞くが、歴史や内容はほとんど分からなかった。子供が塾生になり、能楽がとても身近になりました」との声も聞かれ、地元の伝統芸能を再認識する機会となっている。
発表会当日は、午前中の第1部で梅鴬会・おかし研祐会による狂言「伊文字(いもじ)」「附子(ぶす)」などが上演され、午後の第2部では、「加賀宝生子ども塾」の塾生に梅鴬会・おかし研祐会の会員が加わり、教科書でお馴染(なじ)みの狂言「柿山伏」や能形式の「鶴亀」などが演じられる。
「柿山伏」は修行を終えた山伏が、渋柿と知らずに柿の木に登り、持ち主に柿泥棒と間違えられ、そのコミカルなやりとりが笑いを誘う。「鶴亀」は天下泰平と国家の長久を祈念するおめでたい内容だ。それを塾生たちが表現力豊かに、場中に響き渡る力強い声で熱演する。入場無料。