「遠友夜学校」記念館 来春着工へ
札幌市内で創立120年記念フォーラム
札幌農学校で学びキリスト教の精神を持って日本の教育界に貢献した国際人・新渡戸稲造。米国留学後、札幌農学校の教授として赴任した新渡戸が明治27年(1894年)、家庭の貧困をはじめ何らかの事情で修学できない子供のために私財を投じて遠友夜学校を建てた。創立から120周年の記念フォーラムが札幌市内で開かれた。(札幌支局)
創立者・新渡戸稲造の精神を受け継ぎ残す
「新渡戸が建てた遠友夜学校はその後50年以上にもわたって続けられた。卒業生は1000人を超え、5000人が学んだ。この間、600人の教授や北大生が教師として携わったが、彼らはすべて無報酬のボランティアであった。私は遠友夜学校に教育の原点をみる」
6月14日、札幌市内で開かれた「札幌遠友夜学校創立120周年記念フォーラム」(主催、一般社団法人新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会)で講師の佐藤全弘・大阪市立大学名誉教授は、こう語って新渡戸が創立した遠友夜学校の精神とその功績を披露した。
佐藤氏は遠友夜学校がつくられた経緯についてこう説明した。
「新渡戸がメリー夫人を伴い札幌に戻って数年後、夫人の実家に長く仕えた老婦人の遺贈金が届いた。そのお金は老婦人が給金から少しずつ貯めたものでメリー夫人に贈りたいとの遺言だった。この遺産が学校開設の原資となり、新渡戸の理想の学び舎が実現した。新渡戸は農学校勤務の傍ら、初代校長として無休で地域の子弟のために尽くしていった」
ちなみに、当時は公立小学校でも授業料が必要だった。小学校が無償となるのは明治33年から。
遠友夜学校はその後、昭和19年まで続けられる。その間、大正6年に道庁から私立学校の許可を得、大正12年には財団法人の認可を受ける。財団法人は閉校後も継続され、昭和37年に土地、資料を札幌市に無償譲渡して解散することになる。その後、新渡戸の精神とその功績は札幌市資料館の一室に展示されてきた。
そうした中で、同フォーラムの主催者「一般社団法人新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」(秋山孝二会長)は創立120年を契機に札幌市内に「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校記念館」を建設する計画を打ち出した。
公益財団法人秋山記念生命科学振興財団の理事長でもある秋山会長は同記念館建設について、「新渡戸が作った遠友夜学校は教育の原点と言える。ただ、そうした新渡戸の精神とその価値を札幌市民がどれほど認識しているか、と省みるとき、新渡戸の精神を受け継ぎ残したいという思いが募り、創立120年を契機に遠友夜学校記念館の建設につながり、有志とともに始めまた。もちろん、全国に新渡戸を記念する建物はいくつもあり、また新渡戸の精神を受け継いだ大学高校もあるが、そうした機関と連携を深めていきたい」と語った。
同会ではすでに記念館の建設地を定め、また建築コンセプト設計も公募し、来年春からの建設を予定している。記念館の運営について秋山会長は、「新渡戸が作った札幌遠友夜学校は机上の学問ではなく、いかに行動し生きるかを問う心の教育が受け継がれていた。今日ほど教育の重要性が指摘されている時代はない。私どもはそうした教育のあり方を皆さんに働きかけ、気軽に集えて議論する場を作っていきたいと考えている」と述べ、地域に根付いた人間教育の場を目指すという。
折しも札幌市はこれまで札幌資料館の一室に展示していた遠友夜学校の資料展示を閉じ、すべての資料を北海道大学に寄贈することを決定している。札幌遠友夜学校記念館は札幌市民が新渡戸の精神に直に触れ合うことのできる新しい場として期待されている。