脳裏に刻み込まれている50年前の2月の出来事
6日夜に行われた北京冬季五輪のジャンプ男子個人ノーマルヒルで、小林陵侑選手が優勝した。ジャンプでの優勝は1998年の長野五輪以来、24年ぶり。ノーマルヒルでは72年札幌五輪の笠谷幸生選手(当時は70メートル級)以来、実に50年ぶり。その日も2月6日の日曜日だったという。
今や伝説となった笠谷、金野(昭次)、青地(清二)3人の表彰台独占だが、筆者は当時、国旗掲揚ポールに日の丸が3本はためくのをテレビで見ていた。
ちょうど中学2年生の終わり頃で、誰が勝つか、メダルを取るか取らないかなど、中学生になって始まった完全給食のコッペパンを懸けて熱心に見ていた。いたく感動したらしく、札幌五輪のファンファーレ(少々編曲気味)に合わせて、日の丸飛行隊の歌を作ったりもした。
『青く晴れた空に飛べよ、飛べよ笠谷、高く遠く、美しく飛べよ笠谷、金メダル』(1番)
当時の様子は今も脳裏に深く刻み込まれている。
この2月にはもう一つ、大きな事件があった。連合赤軍のあさま山荘事件だ。特に2月28日、武装メンバーが人質を取って立てこもる山荘に機動隊が突入する様子は、NHKが朝9時から夜7時まで連続生放送し、大きな話題を呼んだ。
先生方も授業が終わるとさっと職員室に戻ってテレビを見ていたようで、社会科の先生は少し事情を話してくれた。夕方のニュースで録画映像を見たのだろうが、印象的なのはクレーン車に吊(つ)り下げられた大鉄球で山荘の壁を破壊する場面だ。連合赤軍も銃で応戦し、機動隊の2人が殉職し20人以上が負傷した。この時、逮捕された5人の供述や付近の山岳ベースの調査で、連合赤軍メンバー14人が「総括」という名の集団リンチで殺害され、埋められていたことが発覚。過激な共産主義(新左翼)運動が退潮する大きな契機となった。
あれから50年が過ぎたが、いまだに共産主義革命を目指す勢力が命脈を保っている。
(武)