無計画な便利さを追求した大きな代償


 新年を迎えて大きく変わったのは、地下鉄銀座線渋谷駅のホームが新しくなったことだ。通勤などで頻繁に利用しているが、昨年末の移設工事の時は半蔵門線を代用し、それほど不便を感じなかった。

 ところがM字形のアーチ屋根が目を引く新駅舎の使用が始まった3日、井の頭線から乗り換えようとすると、従前は岡本太郎の大壁画『明日の神話』を右に見ながらエスカレーターで3階に上ればすぐだった改札口への道筋が複雑になり、しかも、JR中央口に向かう階段でJR線利用者と合流するため、通勤時間帯は大変な混雑に巻き込まれるようになった。

 かつて、韓国・ソウル市内の地下鉄では不便な乗り換えを逆手に(?)取って、「地下鉄に乗ると1万歩歩き運動が自然にできます」という自虐的なスローガンを掲げた時があった。

 「居心地のよいまちづくり」をコンセプトとする渋谷再開発の一環として移設された銀座線ホームだが、その結果生じた混雑と複雑な動線は、東急東横店西館・南館の解体に続くスクランブルスクエア中央棟と西棟の工事が完成する2027年まで解決しないのではないかと言われている。実に7年も不便を甘受しなければならない。

 一方、今回のホーム移設で、2013年の地下化と地下鉄副都心線との相互乗り入れ以来、複雑で不便だった東横線からJRおよび銀座線への乗り換えは大きく改善したというが、これも7年かかったわけだ。

 文明が進めば便利になるはずだが、無計画にその都度、その都度の便利さだけを追求していくと大きなひずみが生まれ、収拾がつかなくなってしまう。それを是正するためには綿密な計画の下、少なからぬ不便を引き受けざるを得なくなる。人間の便利さだけを追求した結果生じた地球規模の環境問題改善のために甘受する不便はどれだけ長く、大きくなるか分からない。

(武)