【上昇気流】今年は明治の文豪、森鷗外の生誕160年、没後100年に当たる
今年は明治の文豪、森鷗外の生誕160年、没後100年に当たる。東京・千駄木の「文京区立森鷗外記念館」では、特別展「写真の中の鷗外――人生を刻む顔」が開かれている。
おかっぱ頭の幼時の写真から、青年時代そして陸軍軍医総監時代の軍服姿まで多数の写真を展示。東大医学部卒業の頃はやや自信なげな表情だが、壮年期には威厳、晩年は人間的な深みが加わっていく。
47歳の時に発表した小説『半日』で、鷗外とみられる夫が妻に自らを「醜男子」と言いながらも「おれなんぞの顔は閲歴(えつれき)が段々に痕(あと)を刻み附けた顔で、親に生み附けて貰つた顔とは違ふ」と話している。写真にもそれが表れている。
自伝的小説『ヰタ・セクスアリス』でも「女が僕の容貌を見て、好(すき)だと思ふといふことは、一寸想像しにくい」とも書いているが、ドイツ留学時の写真などなかなか精悍(せいかん)で、実際鷗外はドイツ人女性からももてた。『舞姫』のエリスのモデルと言われるドイツ人女性が鷗外を追って日本にやって来た話は有名だ。
鷗外とこの女性との関係は悲恋に終わるが、明治の日本男性では新渡戸稲造や高峰譲吉らが外国人の妻を娶(めと)っている。
いくら立派な学者でも男性として魅力がなければ、女性も結婚しようとは思わない。この時代の日本男性には西洋の女性も惹(ひ)きつけるものがあったようだ。新渡戸の書いた『武士道』ではないが、やはり武士的なものが顔つきや振る舞いを魅力的にしていたのではないか。
(サムネイル画像:Wikipediaより)