【上昇気流】「冬籠(ふゆごもり)書斎の天地狭からず」(高浜虚子)


新型コロナウイルス

 「冬籠(ふゆごもり)書斎の天地狭からず」(高浜虚子)。新型コロナウイルス禍によって外出がままならず、巣ごもり状態が多かった今年。年末になって帰省の動きも出てきているようだ。テレビのニュース報道では羽田空港などが混雑し、空の便の予約がコロナ前の7~8割まで回復しているという。

 新たな変異株「オミクロン株」の脅威もあるが、それでも久しぶりに帰省したいという強い気持ちがあるからだろう。ステイホームの巣ごもりでは、狭い部屋に書斎らしき空間を設け、そこで仕事をして「ズーム」などのビデオ会議に参加した人もいるはず。狭くても慣れれば自分だけの居場所になる。

 同じ所にずっといるのは、まさに俳句の歳時記でいう「冬籠」状態。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』では「冬の寒さを避けて家に籠っていることをいう」とある。巣ごもりと似ている。

 この場合、北国で雪に閉じ込められた状態を指す。雪は物理的な壁になって人の行き来を閉ざすが、コロナの場合は見えないウイルスが壁になっている。見えないだけに本人の自覚が重要である。

 家にこもるのはストレスが溜(た)まる。江戸時代、豪雪地帯の長野が故郷だった小林一茶は、冬籠の人々の楽しみは近所付き合いだったことを句に詠んでいる。

 「人誹(そし)る会が立なり冬籠」。人の悪口を言うのがストレス解消法というわけだ。それは現代も同じで、このところインターネットでの非難中傷が激しい。憂慮すべき事態である。