セミの鳴き声は、それぞれさまざまな感慨を呼び起こす。


蝉

 地域によっていろいろだが、近所では9月に入って鳴くセミはツクツクボウシだけ。ミンミンゼミもクマゼミもヒグラシも鳴かなくなった。『万葉集』(759年以前の作品を収録)にはセミを歌った作品が幾つかあるが、ヒグラシが圧倒的に多い。単に「蝉」とした作品もあるが、種類までは分からない。

ヒグラシの歌が多いのは、夕方になって鳴く声が印象に残るためだろう。ヒグラシの別名を「カナカナ」というのは、声からきているのは確かなようだ。

「蝉鳴くや消えざるものにわが昭和」(板津堯〈たかし〉)という句がある。平凡な作品と言えばその通りだが、「昭和」には戦争体験が明確に反映している。昭和4年生まれの作者にとって、昭和の元号は忘れ難いのだろう。

敗戦から4分の3世紀が経過する令和の世ともなれば、戦争の記憶も自(おの)ずと遠い。「日本って戦争をやってたの?」と父親に訊(たず)ねる男子小学生をテレビで見て感慨を覚えた。

小学生の祖父も戦争体験はあるかないか、曽祖父の代でやっと戦争体験の世代に当てはまる。句のセミがどの種類のものかは不明だが、作者は鳴き声でセミの種類を了解していたに違いない。

種類は分かった上で、あえてセミ科の総称である「蝉」としたのだろう。われわれも鳴き声でセミを認識するのが普通だ。セミの鳴き声は、それぞれさまざまな感慨を呼び起こす。「去年鳴き声を聞いたから、もう聞き飽きた」とはならないところが面白い。