無観客という選択で開催にこぎ着けた東京パラリンピック。
東京パラリンピックは子供たちが観戦に招待されたものの、やはり無観客が前提だった。しかしこの間、全国のお茶の間に五輪観戦の熱が引き継がれたのは新聞やテレビの報道などで十分うかがえた。
競技者らを映し出すテレビのカメラワークも見事で映像の精度は高く、例えば水中での選手の躍動を技術の粋がとらえていた。リアルな映像を届けようと、スタッフが一段と力を入れているということもあるだろう。
選手たちは競技会場に観客がいなくて残念だったろうが、五輪で銅メダルを獲得した体操女子の村上茉愛さんは「いつでも床の上に立てば、自分が演技する場しか見えない。それ以外は真っ暗」という趣旨のことをテレビで語っていた。競技者の心理にはそういう側面もある。
新型コロナウイルス禍で中止の瀬戸際に立たされ、無観客という選択で開催にこぎ着けた今回の世界的イベント。そのアイデアは間違ってなかったと言えよう。
無観客の“無”で思い出したが、吉田洋一著『零の発見』によると「0」は歴史上の大発見で「1から9までの数字のほかにこの0をさし加えた十個の数字をもってすればいかなる自然数も自由にあらわしうる」。
それで「0には万能感があり神秘でもある」。0はインド人が発見した。「エジプト、ギリシァ、ローマでは零はついに発見されなかった」と。東京五輪・パラリンピック無観客開催の発想は主に東洋のものかもしれない。