「党内野党」の石破、宰相に跪いた中曽根を教訓に
落語家・三遊亭金馬(3代目)が語る枕(小話)に「世の中は、澄むと濁ると大違い。刷毛に毛があり禿に毛がなし」というくだりがある。絶妙な語り口に聴衆は思わず引き摺り込まれる。要は、わずかな違いに見えても、実は、天と地ほどの違いがあることの喩えである。政界にも「党内野党」と「野党」と言う、似て非なる立場がある。
その微妙な一線を踏み越えてしまったら一大事である。嫌われるくらいならまだしも、恨まれる、果ては不倶戴天の敵ともなる。あいつにだけは言われたくないという思いもあるのだろう。
すべてを承知の助で見逃せば「武士の情け」とも映る。度重なれば「党内野党」では済まない。傷口に塩を擦り込めば「逆鱗」に触れる。その微妙なバランスに揺れているのが石破茂(元自民党幹事長)なのである。
当人は、宰相・安倍晋三が政権に返り咲いた時(2012年)に幹事長として支えたという自負が強い。二言目には「あの辛かった野党時代を思い出しましょう」と言い続けてきた。今度政権から滑り落ちるような事態になったら取り返しがつかないと思っている。
この気持ちがなかなか通じない。人気を生かして選挙応援に走り回る小泉進次郎の方が巧みである。まして石破茂の場合、自民党が下野した細川護熙政権の時(1993年)に、「後ろ足で砂をかけて出て行った」(元宰相・森喜朗)からだろう、「裏切者」と陰口も聞かれる。宰相にしてみれば「出戻り組」を助けてやった思いも強い。「俺たち偉い病に罹っている」などと上から目線で言われる筋合いはないと思っている議員も多い。
幹事長に起用した理由を宰相は昵懇の元経済産業省幹部に明かしたことがある。
<宰相になるとあらゆる陳情が持ち込まれるんですよ。一々聞いていたら肝心なことが出来なくなってしまう。だから藩屏として起用したのですよ>
端から宰相として後事を託する気持ちなどなかったのである。
あろうことか、その石破茂が自民党総裁選にライバルとして登場した。それも2度(2012年、2018年)である。7年前は、石破茂が地方票を大量に獲得して安倍を破っている。決選投票に持ち込んで安倍晋三が勝利を収めたが心胆を寒からしめられた。昨年の総裁選でも下馬評を上回る「善戦」をしている。
石破茂は生真面目で勉強家である。安全保障には一家言を持っている。「恐妻家」と言われ浮いた噂もない。地方を丹念に回り、ボス連中の言い分に耳を傾ける。噛んで含めるように持論を説明する。海千山千の古狸どもを見飽きた地方党員にとっても新鮮に映る。
ウイークポイントは「眼つき」である。大野伴睦とともに保守合同を成し遂げた大立者・三木武吉と同じく、俗に「三白眼」というものらしい。「人は見た目が9割」(新潮新書)との風潮もある。大衆政治家としては損をしている。田中派時代からの友人が「どうだろう、大きい眼鏡をかけてみたら」と勧めたが「政治家は中身ですよ」と一笑に付されたという。
宰相になるには地方票だけでなく「議員票」でも勝たなければならない。仮に安倍晋三が4選出馬するにしても今期で退陣するにしても、石破の前に立ちはだかるのは安倍を支えてきた派閥群である。意地よりも①加藤紘一(元自民党幹事長)が、時の宰相・小渕恵三に逆らって出馬した総裁選(1999年)後、干された。②大勲位と崇められる中曽根康弘は、散々毒づいてきた佐藤栄作の前に跪いて運輸大臣(1967年)、防衛庁長官(1970年)にしてもらっている。それが宰相に繋がっている。見習ったらどうか。論語に曰く「過ちは改むるに憚ること勿れ」と。(文中敬称略)
(政治評論家)