ホロコースト「忘れない」
地球だより
ユダヤ人の友人から先月、映画のリンク先のメールが届いた。日本人外交官・杉原千畝氏の物語だった。友人は「この人の存在を知らないユダヤ人が多過ぎる」と嘆いていた。
なぜ、この映画を送ってきたのか。よくよく考えると翌12日は、ユダヤ暦の第1の月(ニサンの月)27日に当たり、ユダヤ人大量虐殺を追悼するホロコースト記念日だった。
第2次世界大戦中の1940年7月、リトアニアがソ連に占領され各国の領事館が閉鎖される中、リトアニアに移住していたポーランド系ユダヤ人難民が、通過査証(ビザ)をもらうため、カウナスの日本領事館に押し掛けた。
当時、領事代理だった杉原氏は、ナチス・ドイツとソ連の圧力から逃れ第三国へ脱出を図るユダヤ人難民に、日本通過を認めるビザを発給。領事館を閉鎖した後も、ベルリンへ行く列車が出発するまでビザを書き続けたという。
杉原氏が外務省の訓令に背いて発給した2000枚以上のビザが、6000人に上るユダヤ人難民の命を救うこととなった。
テルアビブとネタニヤに杉原氏の名を冠した通りがあるほどに、ユダヤ人たちは、その恩を忘れてはいない。
ナチス・ドイツによるホロコーストで命を失ったユダヤ人は600万人とも言われ、エルサレムにはヤドバシェム(ホロコースト記念館)がある。「忘れない、許さない」と記された言葉に、ユダヤ人の深い心の傷が見える。