子供の尊厳死、親が判断を

治療の是非めぐり議論

Charles Krauthammerアメリカ保守論壇 チャールズ・クラウトハマー

 これほど胸が痛む道徳的ジレンマがあるだろうか。チャーリー・ガードちゃんは、生後11カ月のかわいい男の子だが、不治の遺伝病に侵されている。エネルギーをつくり出す細胞内構造物ミトコンドリアが減少し、それによって徐々に内臓が破壊される。聞こえず、見えず、ほとんど目も開けられない。のみ込むことも、動くことも、自力で呼吸することもできない。激しいてんかんの症状があり、脳は深刻な損傷を受けている。医師には、チャーリーちゃんが痛みを感じているのかどうかすら分からない。

 ロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院に入院して数カ月、医師らは、生命維持装置を外すことを勧めた。

 両親はこれに強く反発し、裁判所に何度も請願を出して、チャーリーちゃんに米国で実験的な治療を受けさせるよう求めた。

 裁判所は両親の要請を拒否。両親が提案した治療で、チャーリーちゃんを救える可能性はなく、さらに苦痛を負わせるだけだと結論付けた。だが、米国人専門家がロンドンに来て、チャーリーちゃんを診察することは許可した。診察の結果は裁判所に提出される。最終判断は、25日に下される予定だ。

 ◇痛み長引かせる治療

 英テレグラフ紙によると、チャーリーちゃんの担当医らは米国人専門家の考えを受け入れていない。現状を見る限り、医師や裁判所の見方が正しいようだ。チャーリーちゃんの遺伝子変異体は、ヌクレオシド・バイパス療法を受けて改善が見られた他の例とは異なり、はるかに破壊的だ。動物での治療例もない。治療によって、現在の脳の損傷が回復するのかどうかはもちろん、脳細胞に影響が及ぶのかどうかすらはっきりしていない。

 どうすればいいのか。一番の課題は、チャーリーちゃんにとって何がベストかだ。だが、話すことはできない。ならば、チャーリーちゃんに代わって話ができるのは誰か。

 疑問に対して、互いに対立する答えが出ることは、嫌なものだが、チャーリーちゃんの場合がまさにこれだ。

 どういうことか説明する。

 私は、どんな決定も次の二つの事実に従うものでなければならないと考える。①権限を持つのは両親②親でも間違うことがある、の2点だ。

 この場合は、両親が間違っていて、医師と判事が正しいと思っている。チャーリーちゃんの痛みは想像を絶するものであり、現状は、その痛みを長引かせているだけだ。生きていながら、光も音もなく、動くこともできず、ただ痛みだけがある。医師らが、チャーリーちゃんのことをかわいそうに思うなら、尊厳死が最善の策だと考えるのは理解できる。

 奇跡的に改善する可能性については、裁判所の悲観的な見方を私は支持する。このような場合に必ず出てくる話だが、いつも残酷な方法だったことが分かる。

 しかし、これらのことをすべて考慮してもなお、両親の望む所にチャーリーちゃんを連れて行かせるべきだ。

 このような判断では、愛する家族の権限が何よりも優先される。他に方法はない。このような難しい問題に絶対的な答えはないということだ。必然的に家族を頼ることになる。情感を込めて言えば、愛情ということになる。

 ◇尊重すべき親の意向

 子供にとって何がベストか。最も尊重すべきは、子供を愛する親だ。親の動機が最も純粋だからだ。

 当然ながらこれも絶対のものではない。両親の判断が明らかに子供にとって有害である場合は、例え意図的でなくても、国が決めることになるからだ。宗教的理由などで、治療可能な子供の病気の治療を拒否した場合がこれに当たる。

 このような例外はあるものの、どこの社会でも、大人になるまでは子供に対する権限が親に与えられているのには訳がある。親は、子供にとって最善の利益を基に行動すると考えられるからだ。

 そうでないことももちろんある。家族がいつも、純粋な動機を持っているとは限らない。相続人は、ささやかな財産を持つ高齢の親族の生命維持装置をいつ外すかについて、適切な判断ができない可能性がある。

 この場合も、国が最終的な判断をすることになる。納税者が多額の治療費を支払わなければならない場合、国が、思いやりではなく、経済的な理由から治療の拒否を勧めることがある。英国の国民保健サービス(NHS)のケースがよく知られている。

 それでも、一般的な方法としては、裁判所の判断を信じ、愛する家族の判断を信じる。

 両者が対立した場合はどうなるのか。私なら、生命維持装置を外して、最期まで子供を抱いていたいと思う。しかし、決めるのは私でも、NHSでも、欧州人権裁判所でもない。決めるのは、父親と母親、子供への無償の愛だ。

(チャールズ・クラウトハマー、7月21日)