危機にさらされる国際秩序
外交分からぬトランプ氏
逆風に苦しむクリントン氏
大統領選の選挙戦では、2候補の不支持率がかつてないほど高い場合、注目を集めた方が負けることになる。
選挙が近づき、ヒラリー・クリントン氏は注目を浴び続けている。世論調査では依然、リードしているものの、選挙1週間前に元ミス・ユニバースのアリシア・マチャドを伴ってフロリダ州での選挙イベントに登場した時、すでに支持に陰りが見えていた。
当初の計画では、クリントン氏は選挙戦最終週の軸足をドナルド・トランプ氏批判から、自身を積極的に売り込むことに移すはずだった。ところが、6週間前に後戻りし、また非難を受けることになった。あの時はうまく乗り越えられたのだが、同じような事態に直面し、今回は行き詰まっている。
この行き詰まりと計画変更は、連邦捜査局(FBI)のコミー長官が招いた。クリントン氏にとっての最大のハードルは、コミー氏にとってはずっと最重要課題だった。民主党は、7月にコミー氏が機密電子メールをめぐってクリントン氏の訴追を求めないことを決めた時、この問題は終わったと思っていた。これを受けて民主党は、コミー氏の申し分のない誠意とソロモンのような知恵に惜しみない賛辞を送った。
10月28日にコミー氏がこの問題を再度持ち出すと、クリントン陣営は動揺し、ソロモンは異端審問官トルケマダと化した。だが、言うまでもなくコミー氏はこうするしかなかった。65万通もの電子メールが新たに見つかり、この情報を選挙後まで伏せておくなどできるはずがない。
この発表によって、クリントン氏の不人気の原因となっている性格の問題が一気に息を吹き返し、新聞の第1面を飾った。ずるく、疑い深く、皮肉っぽく、ルールを守ろうとしないという点だ。さらに悪いことに、FBI職員の間から、司法省から政治的圧力がかかった可能性がある、クリントン財団への捜査が同時に進められるなどの情報が漏れ伝えられ始めた。
同時にクリントン氏は連日ウィキリークスの暴露によって、うそとごまかし、公務と個人の利益の混同という醜い姿が白日の下にさらされた。困難な時期に、さらに困難な1週間となった。
ここで二つの厄介な疑問が生じた。
-FBIに関しては、法執行機関による刑事捜査を受ける大統領を選出していいものかという疑問だ。議会公聴会がすぐに始まり、いつまでも終わることはない。そのうちに憲法上の問題も出てくるのは間違いない。
-ウィキリークスに関しては、最大の悪事を暴露するメールが選挙前に明らかにされたかどうかは分からない。ウラジーミル・プーチン氏のような筋金入りのKGB工作員なら、最も罪の重い情報をクリントン氏の大統領就任後まで隠しておこうとするかもしれない。プーチン氏なら、適切なタイミングを選んで脅しをかけることなど何ともない。
プーチン氏がハッキングを開始したのはもっぱら、クリントン氏選出を阻止するためというより、選挙を混乱させるためだという見方も多くあるようだ。プーチン氏は、クリントン氏に強い敵意を抱いていて、ロシアの不正に操作された2011年議会選後の反プーチン・デモを受けて、クリントン氏を名指しで非難したことがあるからだ。
その上、プーチン氏なら、近代米大統領の中で誰よりもロシア政府に対してソフト路線を取るトランプ氏を相手にすることを選ぶはずだ。
通常の選挙なら、FBIとウィキリークスという二つの要素があれば、大統領候補失格ということもあり得る。今選挙での候補者選択がいかにひどいものかは、外交への理解不足などトランプ氏の持つマイナス要因が、クリントン氏の欠点をもしのいでいることからはっきりと分かる。
1945年以降、米国のリーダーシップの下で守られてきた国際秩序がかつてない脅威にさらされる時代に入ろうとしている。8年間にわたるオバマ政権という脅威の後、ロシア、中国、イランという三大修正主義大国は、地域での覇権を獲得し、米国の影響力を、しのぐとまではいかなくとも、弱めるチャンスを手に入れる。
現在のような構造的不安定の時代には、経験豊かな国家の指導者であっても、均衡を保つために知恵と繊細さが求められる。トランプ氏にはそれがない。最高の無知と最高のおごりを併せ持ち、ちょっとした批判にも病的なほどに敏感に反応するトランプ氏を選出することは、破滅的な誤算を招来する。
米国人は2世代にわたって、国際的な安定は空気と同じくらい当たり前のものだと思って育ってきた。実際はそうではない。安定は、継続的で、計算され尽くしたかじ取りによって初めて得られるものだ。微妙な同盟国間のバランスと敵国に対する慎重なメッセージによって初めて得られるものだ。いたずらに貿易戦争を仕掛けることをやめ、同盟国の価値観を尊重することによって初めて得られるものだ。ドイツ、日本、韓国などは、米国の安全保障にとって欠かせない同盟国であり、ワシントンの帝王に朝貢するためのサトルピー(管轄領)ではない。
この開かれた、自由な国際秩序を築き上げるのに70年かかった。それが、大統領任期わずか1期で崩壊してしまうかもしれない。ちゃぶ台返しで不満をぶちまけることの代償としては大き過ぎる。
(11月4日)






