中国包囲を進めるオバマ氏
冷徹な現実主義受け入れ
理想主義で平和実現に失敗
【ワシントン】外交政策に対する「理想主義者」と「現実主義者」、楽観主義者と悲観主義者を区別する方法がある。歴史の矢を信じるかと質問すればいい。言い替えれば、歴史は循環的か直線的かということだ。何度も、何世代も同じ間違いを繰り返し続けるのか、希望に向かって進み続けるのかということだ。
保守派に多い現実主義者にとって、歴史は衝突するパワーポリティクスの終わりのない循環だ。同じパターンが繰り返す。変わるのは呼び名と場所だけだ。今の時代に生きる者にとってできるべストは、自分自身を守り、不安定な時代をうまく乗り切り、破局を回避することだ。しかし、永遠に続くものはない。人間の抱える課題に本質的な変わりはない。
理想主義者の考えはその逆だ。国際秩序は最終的には、ホッブスの言う自然状態から人間的で希望に満ちたものに変わると考える。ここでよく見落とされるものがある。高度な国際秩序実現への希望は、リベラル派と保守派の二つの型に分かれているということだ。
リベラル派型は、ビル・クリントン氏が実践したように、条約や協定、国連、NGO(非政府組織)、世界貿易機関(WTO)のような国際機関や国際組織を網の目のように巡らせることで、調和した国家のコミュニティーを実現でき、やがてそれが秩序と安定をもたらすと考える。
保守派型は、ネオコンと呼ばれることもあり、ブッシュ前大統領時代に力を発揮した。秩序と安定を実現する最良の道は、もろく、無力な国際機関ではなく、民主主義の拡大によって開かれると考える。なぜなら、詰まるところ、民主主義はもともと、平和に生きることを目指すものだからだ。
リベラルな国際主義者にとって国際的調和を実現してくれるのはグローバル化であり、ネオコンにとっては民主化ということだ。しかし、リベラル派やネオコンが一つにまとまっているのは、この国際的調和が実現可能だという信念があるからだ。どちらも、完全な人間は無理だとしても、完全な国際社会が実現できると思っている。時間の矢を信奉している。
現実主義者から見るとこれは、できるはずのない目的に向かって進む国際的な取り組みに高い目標を持たせ、自分を納得させるための思い込みにすぎない。主権国家は常に、力と利益を追い求めるものだ。これは、程度はどうであれ、よく考えれば可能だ。だが、基本的な部分は何も変わらない。
オバマ大統領の政治は、理想主義的外交政策の古典的ケーススタディーだ。オバマ氏が好んで引用する言葉の中に時間の矢に関するものがある。「モラルの世界の弧は長いが、正義に向かって曲がっている」。オバマ氏はほぼ8年間かけて、この正義の弧を延ばそうとしてきた。そのために「謝罪ツアー」を始め、奴隷制から9・11後の倫理的混乱まで、海外で自己の内面を深く見詰め、告白した。27日の広島訪問でこの弧は完成する。
だが、残念ながら「正義」で平和は実現できなかった。その後のプーチン露大統領、イランのイスラム聖職者、天安門広場の殺戮(さつりく)者、最近ではカストロ兄弟への融和政策では、正義も平和も進まなかった。米国は世界各地に不正や尊大を持ち込んでいるようにみられることもあった。だが、米国が世界から手を引いて生まれたのは、シリアのような地政学的カオスと大規模な苦難だった。
しかし今、興味深い動きが出ている。オバマ氏は大統領を2期務めたが、この正義の弧の理想を守り続けたようだ。その結実が広島だ。しかし、その結果、頑迷で冷酷な現実主義の政治を取らざるを得なくなった。今週のベトナム訪問で抑圧的な独裁支配の現実を受け入れ、その一方で、関係改善と武器禁輸の解除を発表し、ベトナムを中国包囲の協力相手とした。
それに先立ち、米軍がフィリピンに戻っていた。これも中国封じ込め戦略の一環だ。環太平洋連携協定(TPP)は実際には、経済というよりも地政学に主眼を置いたものであり、中国を環太平洋の輪で取り囲むためのものだ。
封じ込めに理想主義はない。粗野で冷徹なリアルポリティークだ。モラルの弧は関係ない。励みになる歴史の矢もない。実際には、全く同じことが繰り返されている。1940年代終わりごろのトルーマン大統領のロシア封じ込めと同じだ。オバマ氏は今、中国に対して同じことをしている。
オバマ氏はこれによって二重のレガシーを残す。正義の弧への熱望は、目的が何であれ、悲劇的な地政学的、人的被害をもたらした。しかし、この時代遅れのリアルポリティークを受け入れることは、新たな封じ込めの礎となり、中国の台頭という今世紀の主要課題に対応するための重要な資源となる。
歴史に矢があるのかは知らないし、誰も知らないと思う。冷徹な現実主義が常に歓迎されるのはそのためだ。このことは、オバマ氏に対しては特に重要だ。
(5月27日)