テロを過小評価するオバマ氏
無意味なキューバ訪問
勢力拡大する「イスラム国」
【ワシントン】分割画面を見ているようだ。一方でブリュッセルの爆弾、他方では、ハバナで野球観戦しラウル・カストロ氏とウエーブをするバラク・オバマ氏。
一方は、増加する世界のテロという現実の世界、他方は、オバマ氏のファンタジーの世界。オバマ氏は、地政学的に重要性の低いキューバに擦り寄っている。米国外交にとって重要な成果とされているが、民主主義や人権という意味では何の成果も上がっていない。
キューバ訪問はレガシーなどではなく、虚構だ。サンディニスタがもてはやされ、革命を夢見、友人誰もが飼い犬にチェという名前を付けていたそんな学生時代の寮を正当化しようとしているだけだ。
ブリュッセルで事件が起き、オバマ氏は訪問を切り上げて、帰国すべきだという意見が出た。私はそう思わない。3人の自爆犯に米大統領の日程を変更させるようなことがあってはならない。さらに次の訪問国アルゼンチンは重要であり、長期にわたる腐敗したペロン主義から脱し、友好的な政権が選出されたばかりだ。
だが、野球は外すべきだった。ベルギー当局がブリュッセルの空港でばらばらになった遺体を拾い集めている時であり、カストロ氏と大笑いする光景はどのようなメッセージを送ることになるだろうか。
オバマ氏は大統領に就任した時、米国はテロの脅威をあまりに誇張し過ぎだと考え、米国の価値観、外交をないがしろにした。一方的に世界のテロとの戦いの終わりを宣言し、その後ずっと、テロの脅威を過小評価してきた。アトランティック誌のジェフリー・ゴールドバーグ氏によると、オバマ氏は、風呂での事故で死ぬ米国人の方がテロより多いと頻繁に補佐官らに言っているという。
就任から7年。現実の世界は、オバマ氏が描いた平和の夢の通りには全くなっていない。「イスラム国」(IS)は、ジョイントベンチャーから世界の脅威へと成長し、活動領域はリビア、アフガニスタン、シナイ半島、ベルギーまで拡大した。欧州に浸透し本格的に活動するようになり、中東から帰国した5000人とみられる聖戦主義者のうち500人は訓練を受けた筋金入りだ。テロの頻度は上がり、その手口は巧妙化している。大陸全体に及ぶ可能性もある。
この現実を前にしてもオバマ氏はじっとしたまま、事態を無視し、無頓着を決め込んでいる。現状を否定するのとほとんど変わらない。ベルギーでの大虐殺後もオバマ氏は何もせず、世界を驚かせた。ハバナでの34分の演説でブリュッセルの事件に触れたのは51秒だった。パリのテロの時もオバマ氏は何もしなかった。そればかりか、既によく知られていることだが、昨年11月にトルコでの記者会見でパリのテロに関してオバマ氏が示したのは、「イスラム嫌い」への反感だけだった。
デービッド・アクセルロッド氏はオバマ氏の対応を「音痴」と表現したが、大事な点を見逃している。単なる表現上のミスだけではないからだ。米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏が斬首された際の反応を思い出してほしい。哀悼の念を表明するとすぐに、ゴルフカートに飛び乗り、18ホールを回った。
オバマ氏は後にNBCのチャック・トッド氏にこれは間違いだったと述べている。「この仕事は芝居のようでもある。いつも自然にそういう振る舞いができるとは限らない」。1人の市民を悲惨な死から守れなかった事態に直面した時、田園風景の中で楽しむ余暇を延期するという発想は、自身の中から自然に湧き出てくるものではなく、政治の舞台に必要な一幕だとでも言いたいのか。ショックを受けたり、悲しんだりはしないのか。
オバマ氏は非常に冷静で、感情は出さないとでも言っているように聞こえる。だが、何カ月か前、サンディーフック小学校銃撃事件について話す時は、目に涙を浮かべていた。あの事件を起こしたのは精神障害者だった。しかし、イスラム過激派によるテロとなると、形ばかりの単調な話し方をする。
どうしてなのかは知る由もない。恐らく、ずっと以前から、出自や経歴からしてイスラムと欧米の間に平和をもたらす資質を持っているのは自分だけだと考えてきたため、今になって目の前で事態がこれほどまで悪化したことを認めることは、もともと持っていた自負は間違いであり、達成できるはずもなかったと認めることになる。
理由がどうであれ、世界中が脅威と感じ、恐怖を抱き、不安を強めているにもかかわらず、オバマ氏はまったくの無反応に見える。就任してから7年、いまだに選挙公約にこだわり、強迫観念にとらわれているようだ。グアンタナモ収容所を閉鎖し、イランと和解し、独裁者に接近し(だからキューバに行った)、海面上昇を止め(だからパリ気候変動会議に行った)しなければならないと思っている。次は、オバマ氏のもう一つの強迫観念、核の廃絶をめぐって無意味な「サミット」が開かれる。
世界は燃えているが、米国大統領は、休暇を取り思索にふけっている。ブルボン家に関してこんな言葉がある。「何も学ばず、何も忘れなかった」
(3月25日)






