世界で繰り返される報復劇
歴史貫く恨みと復讐
文学、スポーツにも登場
【ワシントン】復讐(ふくしゅう)するは我にあり、と神は言われた。報復は時が来れば必ず行われるものだが、野球選手は気長に待てるようだ。
ボストン・レッドソックスのスラッガー、デービッド・オルティーズは5月の終わりにタンパベイ・レイズのデービッド・プライスとの今季初めての対決で、背中に150㌔の速球を受けた。
オルティーズは不快そうだった。ためらいながらも、怒りをあらわにし、審判の警告を受けた。監督らは声を張り上げ、緊張が高まった。事故でないことは誰もが知っていた。
2013年10月5日、オルティーズはプライスから2発のホームランを奪った。あまりないことだが、あり得ることだ。だが、2本目を打った後、バッターボックスで、自分の作品に陶酔するかのように、右翼スタンドに向かって大きなアーチを描くボールを見ていた。それからゆっくりと、ゆっくりとベースを回り始めた。
これがプライスには気に入らなかった。オルティーズに向かって、わざとらしいパフォーマンスはやめろと叫んだ。
だが、この野獣は叫ぶだけでは収まらなかった。秋が来て、長い冬が過ぎ、春のキャンプを経て、シーズンの3分の1が終わるまで、プライスの傷は痛み続けた。そして西部の夜明けの決闘よろしく、最初の対決で名誉の復讐を果たした。
違いは、相手が拳銃を持っていないことだ。
これが事態を複雑にしている。報復が報復を呼び、いつものようにベンチ総出で、愉快でばかばかしい、どうというほどのこともない乱闘騒ぎを起こし、皆の間に不信感が生まれる。試合後、オルティーズはプライスに宣戦を布告し、次の対決の準備をしておくよう訴えた。
プライスは何も知らないというふりをした。マドン監督はヨーダのまねでもするように、オルティーズのようなスラッガーには内角に投げるしかないが、少し逸(そ)れたようだと冷静に分析し、「確かに、少し内側過ぎた」と語った。
確かに、ほんの60㌢ほどだ。
この典型的な報復劇で愉快になるのは、8カ月という期間の長さの割に実行は一瞬だった点だ。一投、一発にメッセージは込められていた。だが、報復は、カタルシスであり、もやもやを晴らすものであり、時間をかけた方が効果的だ。話し合いはない。相手との間には理性などなく、仲介も仲裁もない「直接行動」だ。
時代を超えて愛されている小説「モンテクリスト伯」をギュッと圧縮した報復劇と考えればいいだろう。期間はかなり長い。脱出するまでの14年間、裏切られたわれらの英雄は、監獄島で苦しみ、じっくりと考えた。報復はじっくりと練り上げられた。10年かけて、裏切り者らを陥れるための新しい地位を得、1人ずつ苦悶(くもん)の中で死に追いやった。
文学とスポーツの双方で報復がこうも充足感を与えてくれるのは、現実がむしろ不快である一方で、よく練られた報復は自身の代わりに苦難を負ってくれるだけでなく、陰謀であり、策略的ですらあるからだろう。
いずれにせよ、プーチン・ロシア大統領のような強い武力を持つ現実世界の悪党が、報復のために隣国を侵食するのを見るのは気持ちのいいものではない。1991年のソ連崩壊への報復か、1954年にクリミアを失ったことへの報復か、さもなければ1917年から18年に皇帝ニコライを襲った不運への報復か。
取り戻すのが夢だったと言えば聞こえはいいが、動揺を生むだけだ。カナダのケベックで「Je me souviens」というナンバープレートを見たことがある。「忘れない」という意味だ。何を忘れないのか。1759年の「エイブラハム平原の戦い」だ。この戦いでケベックは英国の支配下となった。
それに対するケベックの人々の対応は「揺り籠の報復」として知られている。産めよ増えよだ。静かに、確実に数を増やした。戦いではなく、愛をひたすら実践したのだ。
しかし、この愛にあふれたケベックの人々の話は例外とみるべきだ。普通は、民族感情に基づいて野蛮な報復が繰り返される。セルビアを例に取ると、20世紀末の戦争には、1389年のトルコによるコソボ征服への怒りがみなぎっている。不信心者の殺害を訴えるアイマン・ザワヒリは、1492年にイスラム王朝が失ったアンダルシアへの強い思い入れを持つ。
若い国・米国に住む私たちが、このような根深い恨みの情を理解することは難しい。トーニャ・ハーディングを世界に送り出し、映画「ゴッドファーザー」ではベッドの中に馬の首を転がすという報復劇もあった。だが、スポーツやフィクション以外で思い出されるのは「アラモを忘れるな」だ。だが、メキシコは今ではよき隣国であり、ときの声を上げる人などいない。
ありがたいことに、ここでの報復は球場での話だ。ルールブックには規定されていない。ビール片手に興奮が味わえる。カレンダーに印を付けておこう。次のレッドソックス-レイズ戦は6月25日、プライスに登板してほしいものだ。






