【上昇気流】「どうして山の小説を書かないのですか」――


登山

 「どうして山の小説を書かないのですか」――。『日本百名山』を著した深田久弥に、ドイツ文学者で立教大学山岳部の部長を務めた福田宏年が質問した。「山にはドラマがないからな」。

 これが回答だった。深田の考えによれば、山登りは頂上を目指す無償の行為で、人間の愛憎や喜怒哀楽が入り込む余地がない。福田も共感し、同じ視点から新田次郎の山岳小説なども批判した。

 新田は山に浮世の風を送り込んで小説的世界を開いたが、山の持つ根本的な魅力と魔力は失われた、と。「山の魅力」と「人間の醜いシッポ」を両立させる課題は、二律背反的だと考える。

 ドイツの山岳文学を翻訳しただけで、部長となり、ヒマラヤ遠征隊隊長まで引き受けた福田にとって、山は及び腰でしか近づけない世界だった。福田が『バルン氷河紀行』を書いたのは1964年だ。

 時代は変わった。山を取り巻く社会も変わった。今は、山ガールたちが身の丈に合った山を求めて山旅を楽しむ時代。装備も、食事も、山の味わい方も、おしゃれ。山岳ガイドもいる。

 テレビドラマにもなった湊かなえさんの書き下ろし小説『残照の頂』(幻冬舎)に、山岳小説は二律背反的という深田の小説観は感じられない。だが、山は「人生の再生の場所」という作者のテーマに、深田も共感するだろう。山岳写真家、菊池哲男さんの作品「天の川と月明かりの五竜岳」を観(み)て、一編の物語を生み出した創造力がすごい。