【上昇気流】俳聖の松尾芭蕉は謎めいたところが多い
俳聖の松尾芭蕉は謎めいたところが多い。忍者説というものもある。だが、気流子が一番気になっていたのは、芭蕉が『野ざらし紀行』に記した富士川の捨て子の話だ。
富士川のほとりで3歳ぐらいの捨て子を発見したが、少しの食糧を与えて見捨てて旅を続けている。このエピソードは、芭蕉の非情なまでの芸術至上主義という覚悟を示した事例として受け止められている。
江戸時代は、儒教の影響もあって親孝行が尊ばれた時代。そんな時に、捨て子を見捨てていくほど果たして非情になり切れたのか。しかも、それを紀行文に記しておくほど露悪的な人物だったのか。
芭蕉の紀行文には、事実だけではなくフィクションを交えたものがあるので、これも事実であるかどうか疑問は残る。そうした時に『親孝行の日本史』(勝又基著、中公新書)を読んで、この疑問が氷解した。
それによると、芭蕉は1688(貞享5)年に奈良を旅して、ある人物を訪ねている。その人物は当時、孝女として有名だった女性。病床の老父がウナギを食べたいと言いだし、呆然(ぼうぜん)としていると、夜中に水ガメでウナギが泳いでいたという奇跡が起こった。
それを食べさせたところ、老父の病が癒えたので、領主から褒められたという。芭蕉はこの奇跡から15年後にその孝女を訪ねて、その時のことを手紙で、奈良の寺を詣でた時よりも感動したと書いている。それで、芭蕉の真意がどこにあったのか理解できる。
(サムネイル画像:Wikipediaより)