実現不可能なだまし絵を立体化
目の錯覚「錯視」の不思議
明治大学特任教授 杉原厚吉氏に聞く
立体化することが不可能と思われるだまし絵「不可能図形」。この「不可能図形」には、数学的手法で簡単に立体化できるものもあり、それらは「不可能立体」と呼ばれる。数学を使って目で物を見る仕組みや、なぜ錯覚が起こるのかを研究している明治大学の杉原厚吉特任教授にインタビューした。
(聞き手=宗村興一)
数学の創造力を活用/錯覚のない安全社会へ一助
不可能立体の企画展、明大博物館で開催中
不可能立体とは何か。

すぎはら・こうきち 1948年、岐阜県生まれ。71年、東京大学工学部計数工学科卒業、73年同大学院修士課程修了。東京大学工学部助手、通商産業省電子技術総合研究所主任研究官、名古屋大学助教授、東京大学教授などを経て、2009年より明治大学研究・知財戦略機構特任教授。工学博士。東京大学名誉教授。専門は数理工学、だまし絵や錯視の数理的研究。
不可能図形という、絵には描けるけど立体として作れそうにないと感じる絵がある。それを立体化したものが不可能立体だ。不可能立体は、見ると「こんな立体はあり得ない」と感じる「立体錯視」という錯覚が起こる。不可能図形を立体にするトリックはいくつもある。
一つ目のトリックは、つながっているように見える所に不連続な構造、奥行き方向にギャップを設けて、ある特別な視点から見た時だけ離れている所がつながっているように見える「不連続なトリック」。
二つ目は「曲面のトリック」。平面のように見える所に曲面を使う。そうするとあり得ない立体ができてしまう。これらは昔から知られていた。
私自身は、研究の中で三つ目のトリックを見つけた。これは、直角に見える所に直角以外の角度を使うもので「非直角のトリック」と呼べる。
この研究が始まった背景は。
若い頃に通商産業省(現・経済産業省)の付属研究所に就職した。そこでロボットの目を開発する研究グループに配属された。
コンピューターが、画像から立体を読み取るためにどんな計算や情報処理をすればいいかを研究テーマにしていた。
その頃、人間の目がどうなっているかを気にしないで、計算機特有の方法で画像から立体を復元するための計算法を開発していた。出来上がったコンピュータープログラムの振る舞いと、人間の目で見て脳で感じる振る舞いを比べると、もちろん差がたくさんある。
その違いから、なぜ人間が錯覚を起こすのか説明できると気付いた。これがきっかけで、人間の目の仕組みにも研究の興味が広がってきて、錯覚や不可能立体の研究に入っていった。
不可能立体の魅力は。
目で物を見るということは、普段の生活の中でごく当たり前のようにやっている。だから人間は、目で物を見たら物の形が分かると思いがちだ。しかし、それは危ういことだということが、これらの立体を見て体験していただけると思う。
不可能立体は、職人芸的な試行錯誤ではとても気が遠くなるような、時間をかけないと作れそうにないと感じる。しかし、方程式を用いると簡単に出来てしまう。
だから数学が新しいものを作る力を持っているということも、多くの人に知ってもらえたら嬉しい。
不可能立体は社会にどう生かされているか。
錯覚とは、実際とは違って見えることだから、事故などの原因になる。だから起こらない方がいい。
私たちの研究の目標は、錯覚の起こる仕組みを調べた上で、どうしたら錯覚の起こりにくい安全な生活環境が整えられるかを考えることだ。錯覚を直接応用するというよりは、錯覚のない世界をつくるために頑張るというかたちだ。
現在はその逆がいっぱい使われている。例えば、スーパーなどの商品の陳列で、より商品が魅力的に見えるように工夫されている。
みかんなどはオレンジ色のネットに、オクラなどの緑色の野菜は緑色のネットに入れて販売されている。これらは「色の同化」という錯覚を利用している。
ネットの色につられて、中身はよりみずみずしく、魅力的に映るように工夫されている。これを錯覚の応用というか悪用というかは分からない。ありのままの姿を伝えようと思ったら、錯覚のない世界をつくることを目指すことが大事なのではないかと思う。
今後の不可能立体の研究の目標は。
私の研究は、不可能図形が立体になることが見つかったところから始まった。
その後、見たら不思議に感じたり、あり得ないと感じたりと、いろいろなタイプの不可能立体が見つかった。
不可能立体は、「だまし絵立体」や「不可能モーション立体」など第6世代まで発見し、分類している。まだまだ発見されていない、新しい不可能立体の種類を見つけていきたい。
また、あえて錯覚を利用してエンターテインメントの素材にしたり、錯覚の起こりにくい安全な社会づくりにする両方の方法で研究を進めていきたい。
明治大学博物館(東京都千代田区の駿河台キャンパス)で、不可能立体の企画展が8月19日まで開催中だが、来場者にどんなことを感じてほしいか。
ここに陳列しているいろいろな立体は、実際にある立体を見ているにもかかわらず、そんなものはあるはずがないという感覚になる不可能立体だ。
私たちは普段の生活の中で、目を使って物を見ている。だから見たら物の形は分かるって思いがちだ。
しかし、このような錯視体験をすることで、目で物を見ることは必ずしも確実な物の判断につながるわけではない。いろいろと危ういこともあるのだということが分かってほしい。
また、これらの作品は数学を使って初めて作ることが出来たので、「数学のモノづくりの力」を知ってもらえると嬉しい。