米基地にNOの比、危機には米軍頼む現実主義

緊張 南シナ海(3)

800

東南アジア諸国連合(ASEAN)拡大国防相会議のさなか、カーター米国防長官(左)と会談するガズミン比国防長官 3日、クアラルンプール(米国防総省提供)

フィリピンはソ連が崩壊した1991年、米軍駐留に「NO」を突き付け、国内の米軍基地を撤廃した。当時、上院で米軍の駐留に反対票を投じた12人の議員は、「マグニフィセント(尊厳) 12」と呼ばれ、国の誇りを守った英雄として尊敬を集めた。
 1986年にピープルズパワー革命によるナショナリズムの高まりの中で生まれたコラソン・アキノ大統領は、米軍撤退を公約に掲げていた。しかし大統領就任後、米軍駐留容認に転じた。ところが、民衆革命の熱気が残る中で行われた新憲法の制定で、上院は米比相互防衛条約の延長を拒否。米軍は1991年にクラーク空軍基地から撤収を開始した。同年6月に起きたピナツボ火山の大噴火で、基地が被災したことも撤収を強く後押しした。そして米軍の撤収後、中国はここぞとばかりに空白地帯となった南シナ海に軍事拠点づくりを始めた。

 ジョセフ・エストラダ元大統領は、当時、上院で米軍駐留に反対した12人の議員の一人だ。しかし皮肉にも、米比合同演習再開につながった訪問米軍地位協定(VFA)が批准されたのは彼が1998年、大統領の座に就いた時だった。中国の南シナ海での行動が活発化したのに加えて、フィリピン南部ではイスラム反政府勢力との衝突が激化していた。旧式装備の国軍は苦戦を強いられ、米軍の支援が何としても必要な状況だった。エストラダ氏は反米派から「カメレオン」と呼ばれ非難されたが「状況が変化した」と変節を正当化した。

 そのエストラダ氏はマニラ市長となった今も、9月に行われた中国の軍事パレードに出席するなど、カメレオンぶりを発揮している。来年の選挙で市長の再選を狙うエストラダ氏にとって、フィリピン経済を牛耳る華僑の支持は欠かせないところだ。マニラ市には世界最古と言われるチャイナタウンがある。これだけ中国との緊張が高まっている今も、「中国がフィリピンの近代化に役立つ」と中国メディアのインタビューに答えている。

 宿敵であるアロヨ前大統領が、鉄道整備事業で中国企業と手を組み、贈賄疑惑や建設の遅れで計画が中止に追い込まれた苦い経験は、汚職で収監されている間にすっかり忘れてしまったようだ。

 一方、当時エストラダ氏と共に、米軍駐留に強く反対した議員の一人である元国防長官のエンリレ上院議員は、中国の脅威を前に、米軍プレゼンスを歓迎する立場に転じている。10日に行われた上院本会議で、防衛協力強化協定(EDCA)には上院の批准が必要だとの決議を賛成多数で可決したが、エンリレ氏は棄権した。「我々は口だけでは中国と戦うことはできない」と協定反対派の中心人物であるサンチャゴ上院議員を強く批判。さらに、「米国のような海軍力を持つ国との同盟は、安全保障上の利益として歓迎すべきだ」と述べ、比国軍が依然としてアジアで最弱の軍隊であることを認識すべきだと主張した。

 比国軍は、慢性的な予算不足や汚職により、装備の近代化は遅々として進まず老朽艦を使い続けている。国内の反政府勢力と対峙(たいじ)するのが精いっぱいなのは昔と変わらない。国軍に独力で国防を担う実力はなく、現実問題として米軍の支援に頼る以外に道はない。

 米国の世論調査機関であるピュー・リサーチ・センターが6月に発表した報告書によると、米国に最も好感度を持っている国は、調査対象となった40カ国中、フィリピンが92%でトップだった。ちなみに2013年の調査では85%となっており、中国の脅威が高まるにつれ米国との緊密感が増している印象だ。

(マニラ・福島純一)