縄文の竪穴式は“住居”か 北海道考古学会の大島直行会長が疑問提示

 北東北を含め北海道の縄文時代の遺跡群を世界文化遺産に登録させようと、北海道庁はさまざまな啓蒙(けいもう)・啓発キャンペーンを展開している。そんな中、北海道の先史時代に対し地道な研究を続ける北海道考古学会は、毎月会員が研究テーマを携え、報告発表する月例研究会を行っている。9月は同学会会長の大島直行氏が縄文時代の竪穴式について、また同学会会員で札幌学院大学人文学部講師の大塚宜明氏が旧石器時代の黒曜石の産地について、それぞれ私見を披露した。(札幌支局・湯朝 肇)

「母胎に見立てた造形」

生と死に高い精神性持つ

縄文の竪穴式は“住居”か

竪穴式住居について異論を主張する大島直行氏

 「中学校の歴史の教科書に縄文時代の竪穴式建物は住居だと記しています。しかし、本当に住居だったのでしょうか。これまで縄文時代は竪穴式のつくりを住居=定住という枠組みの中で論じてきましたが、『定住』社会であったとする根拠は希薄です」

 9月19日、北海道大学で開かれた北海道考古学会の月例研究会で大島氏は、こう語ってこれまでの定説に疑問を投げかける。

 大島氏は縄文人の行動様式を単に狩猟などによる食糧確保といった経済的な側面から見るのではなく、彼らが有する精神的側面に着目すべきだと主張する。

 すなわち、米国人地理学者イーフー・トゥアンが指摘する「人間は、土地に対する強い心性・トポフィリア(土地と環境への情緒的愛)をもっている」という観点を強調し、縄文人にとってのトポフィリアは、蛇行する川、山や沼や湖、巨木や岩石、洞窟や岩陰などを「再生」のイメージとし、それをシンボライズすることに生活の主眼を置いていたと語る。

 「環状に配置された竪穴式建物は家ではなく、再生のイメージがシンボライズされた母胎に見立てられたレトリカルな造形と考えるべきでしょう。そのように考えれば、敷石住居や極端に深い竪穴、炉や柱穴のない竪穴、火災住居や廃屋墓などもあの不思議な形や行為の意味に合点がいきます。今まで私たちが家だと考えてきたものは、実は家ではない。そう考えた方が論理的です」と熱っぽく語る。

縄文の竪穴式は“住居”か

置戸山黒曜石を手に持ってみる北海道考古学会の会員たち

 今年3月まで北黄金貝塚のある伊達市噴火湾文化研究所所長だった大島氏は、縄文人の精神性に着目し、考古学的な見地以外にも民俗学、神話学、文化人類学的な側面から縄文時代を見ることの必要性を説いている。とくに最近は、世界でも例のない日本の縄文文化について、その象徴ともいうべき土偶や土器などからシンボリズムとレトリックという手法を使い、縄文の世界観を読み解いている。

 「縄文人は生と死に対する独自的で極めて高い精神性を持っていました。そうした高い精神性を研究し、その点を訴えなければ世界文化遺産には登録されないでしょう」と大島氏は語る。

 この日は、大島氏の他に札幌学院大学人文学部講師の大塚宜明氏が、北海道東部の黒曜石の産地であった置戸町の遺跡研究についても報告した。

 黒曜石は旧石器時代、主に石器の材料として使われていた。大塚氏らは実際に置戸町の原産地を探索し、当時掘り出された黒曜石がどのようなルートで消費されていったのかなどについて調査研究を進めている。「置戸山の黒曜石がどのように分布していったのか。まだ調査段階で不明な部分が多いが北海道の旧石器時代の様子を知る手掛かりになる」と大塚氏は語る。

 北海道考古学会は昭和33年に設立した歴史のある学会。これまで月例研究会の他に遺跡見学会や文化財の保護、講演会や会誌発行など幅広い活動を展開してきた。次回の月例研究会は10月17日を予定している。