龍山公園と韓米連合司令部、配慮欠く国防部の残留計画


韓国紙セゲイルボ

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ソウル龍山公園にある戦争記念館(Wikipedia/
Isaac Crumm)

 首都ソウルにある龍山公園が“虫食い”状態になりそうだ。先月、戦時作戦統制権を協議した韓米両国は突然、韓米連合司令部を龍山米軍基地内に残すことで合意した。

 4カ月前の公式ブリーフィングでは、「連合司令部を龍山基地にそのまま置くことはあり得ない」と言っていた国防部の突然の方向転換だ。

 龍山公園にはすでに米大使館移住とヘリポート、ドラゴンヒルホテルの残留が確定している。先に返還された敷地には国立中央博物館とハングル博物館が立っている。公園敷地を徐々に蚕食している格好だ。これに加えて連合司令部までが広い敷地を占めれば、公園は自らの機能を失ってしまう。

 戦争記念館と連合司令部敷地が公園の腰部分を貫いて南北で真っ二つになる。国土の南北分断を連想させる龍山公園の惨めな姿だ。「そうなら平沢へ基地を移すか」という嘆きが出てくるところだが、基地移転には9兆ウォンも掛かる。

 よく調べれば「連合司令部残留」自体には罪はない。問題は国防部の保身主義と不通主義だ。国家安保のために連合司令部残留を支持する人は多い。安保が市民休息に優先するのは当然だ。

 とはいえ、当初、連合司令部残留時、事務室空間として議論されたのは近隣の合同参謀新庁舎であったのが、なぜ巨大な敷地に化けたのか。その位置にそれほどの場所が必要だったのか。国民は何の説明も受けていない。国防部の疎通方式に問題がある。

 米大使館敷地も過度に広いという指摘がある。既存の大使館敷地と対等交換したものだとしても、あえてそのような方式で過度な空間を提供しなければならないのか疑問が相次ぐ。米韓友好を言い訳にしてはならない。敷地が広いからといって、友情がより厚くはならない。

 龍山公園敷地は壬午軍乱(1882年)時、清国軍隊が占領して以後、日本軍と米軍が次々に進駐した歴史現場だ。民族の浮沈を刻んだ波瀾(はらん)万丈な土地だ。多くの迂余(うよ)曲折を経て、2004年に基地移転が決定され、公園造成が表面化するに至った。

 国防部が米韓間の交渉内容を国民にいちいち説明する理由はないが、安保と関係がなく国民便益に関連したことなら、最小限理解は求めなければならないのではないか。国民は国の主権者で移転費用を負担する納税者であるためだ。

 龍山公園造成は栄誉と恥辱の歴史現場を希望へと変える事業だ。国防部にそのような認識があるのか。国防部は国民との疎通を行うべきだ。

(ペ・ヨングク論説委員、11月20日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。