明け方に見える「かぎろひ」と影絵の思い出
「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」
昨年12月の半ばころ、夜勤明けの早朝、自転車で家路を急いでいると、ふと、この和歌が浮かんだ。炎(かぎろひ)とは、辞書的には「東の空に見える明け方の光、曙光(しょこう)」のことだが、冬場になると武蔵野の端っこにある自宅付近の東の地平に見える「かぎろひ」は特別の趣がある。
オレンジ色(橙色)に輝き、手前の木立や家並みが全て黒く浮かび上がって、ちょうど子供の頃によく親しんだ切り抜き影絵のように見えるのだ。
切り抜き影絵といってもピンとこない人が多いだろうが、近く高齢者の仲間入りをする筆者が子供の頃は、物語を影絵で表現する作品がテレビや小学校で見た巡回映画にしばしば登場していた。最初は白黒だったはずだが、今も印象に残るのは、オレンジ色を背景にした影絵だ。それと同じ光景を大自然の中で目の当たりにするのだから、感慨深いわけだ。
そんなふうに「かぎろひ」に浸りながら、ふと反対側の空に目をやると月が浮かんでいる。十五夜を過ぎて少し欠けた月だ。その光景はまさしく万葉集に出てくる柿本人麻呂の和歌と同じではないか。そんなわけで、冒頭の歌が浮かんだのだ。
調べてみると、人麻呂が件(くだん)の歌を詠んだのは飛鳥時代の朱鳥7(692)年旧暦11月、現在の暦では12月の半ばころだという。ちょうど筆者が「かぎろひ」を眺めていたのと同じ時期だ。
軽皇子(かるのみこ)(後の文武天皇)のお供で阿騎野(奈良県の狩場)を訪れた時に詠んだものだそうだが、その時もあんなオレンジ色の「かぎろひ」が燃えていたのだろうか。木立の影絵はあったのだろうか。さぞかし寒かったのでは……。1300年以上の時を超えて思いを巡らせる、楽しいひと時となった。
新年早々、旧臘(きゅうろう)の話になってしまったが、旧暦ではまだ年は明けていないので、お許しいただきたい。(武)