急がれる浮体式洋上風力発電
日本の経済・安保の切り札に
東京大学名誉教授 木下 健氏に聞く
安全で環境にも優しいクリーン・エネルギーを安定的にどう確保するかは21世紀の大きな課題である。海洋工学が専門で長年にわたり、海洋再生エネルギー資源の研究開発に携わってきた木下健・東京大学名誉教授に、日本における再生エネルギーの現状と課題について聞いた。
(聞き手=青島孝志)
エネルギー分野で独占狙う中国
浮体式洋上風力で独自技術を

きのした・たけし 1978年、東京大学大学院船舶工学専攻博士課程修了。工学博士。東京大学名誉教授。日本大学理工学部海洋建築工学科特任教授、長崎総合科学大学学長、海洋エネルギー資源利用推進機構初代会長を経て、長崎海洋産業クラスター形成推進協議会副理事長に就任。専門分野は海洋工学。著書に「海洋再生エネルギーの市場展望と開発動向」(サイエンス&テクノロジー)、「今こそ考えよう!エネルギーの危機」(文渓堂)など多数。
専門の浮体式洋上風力発電の魅力、長所から伺いたい。
これからの環境問題を考える際の大きなファクターはCO2だ。安価な電力を使い、電気分解して水素をつくっていく、これをグリーン水素と言い、大いに推進すべきだが、その前提は、極めて安価な電力供給だ。
世界的に見れば再生エネルギーの80%は、太陽光と風力。太陽光のポテンシャル量は地球上ではかなりあるが、日本の場合、山をなだらかに削って設置したら、本末転倒。ゆえに、日本で大量に安い電力をつくれるのは、沖合の海以外にはない。
なぜ、ヨーロッパなどが先行したかと言えば、ヨーロッパには浮体式でなくて着床式風力発電を設置できるエリアが十分にあったから。しかし、日本の沖合は急に深くなるので、着床式は難しい。ヨーロッパでも次第に浮体式に移行し始めている。ヨーロッパの先端的な企業も皆、浮体式風力を実現するため技術革新をしている。浮体式であれば、日本においても適切な場所はたくさんあるので十分、ヨーロッパ相手に勝負ができる。
今、本当に日本が本腰を入れて浮体式をキャッチアップしなかったならば、大変なことになろう。
それはなぜですか。
太陽光パネルはほぼ100%中国産だ。風車も、西欧の3社と中国が市場を寡占している。これも放置しておけば皆、競争力の強い中国製になってしまう。経済的にメリットのある外国製品も一部、利用したらよいが、日本の得意技術を生かせる分野を急いで確立する必要がある。
そうしないと、これまで石炭石油を外国から輸入したように、再生エネルギーも皆、中国から買い付けるという事態になりかねない。
かつて第2次世界大戦に突入していった背景にはABCD包囲網があったが、もし、向こう20年、日本が何もしなければ、ABCDの中の「C」(中国)だけに完全に抑えられるという事態になってしまうだろう。
長崎は造船業の世界でトップを走ってきた歴史と誇りのある場所。そこに叡智(えいち)を結集して、浮体式洋上風力の分野で日本独自の技術を確立することが、日本の将来の経済および安全保障に不可欠な切り札になると確信する。
日本における洋上風力の進捗状況は。
ここ2、3年で非常に進展している。それは、ヨーロッパで確立した着床式の技術をまず、日本の海底の低い場所で原子力発電所5基分ほどを5年で準備できている。ただ、これは日本企業がヨーロッパの企業と提携して、ヨーロッパの技術をそのまま導入しているケースだ。
その着床式の技術を蓄積した上で、浮体式に移行する準備が残念ながら非常に遅れている。今から頑張ってヨーロッパと技術競争しないといけない。浮体式洋上風力については、五島列島や福島沖で経験は積んでいる。しかし、ヨーロッパの方はさまざまな道具立てがそろっているのに対して、日本は5倍ほどコストが高い。これを、いかにして1倍に下げ、さらにヨーロッパ以下のコスト実現をするのか。そこに進んでもらいたいのだが、現状は着床式で手いっぱい。これが大きな課題だ。
浮体式洋上発電の本体部分と、その電気を送電するケーブル網の整備は。
良い質問だ。浮体式洋上風力の風車や発電の部分は、陸上式や着床式の風車とほとんど同じ。これは数年前まで西欧3社の寡占状態だったが、ここ2年ほどで中国が猛追している。この部分の開発費が莫大なので、日本が競争するのは得策ではない。西欧3社と技術連携し、台風や雷対策など日本向けにアレンジしていく、というスタンスだ。
基礎構造物の方は、着床式と浮体式は非常に違う。欧米では海底石油やガスの開発という部分が進んでおり、その流れの中で浮体式を視野に置いた開発を進めている。では、日本は全然ダメかと言えばそうでもない。20年以上前は、日本の造船浮体技術はトップを走っていた。マーケットや資源の面で将来性のあるものは浮体式にしかないので、今こそ、浮体式洋上風力に挑戦できる最後のチャンスだとみている。
洋上風力の課題は。
コスト面で、日本は欧米より数倍高い点だ。ヨーロッパではすでに原子力、石油、石炭、ガスなどに比べて最も安くエネルギーを取る方法は洋上風力となっている。なぜそうできたかと言えば、風車の大型化と発電所の大規模化。これを日本で実現していくには、漁業関係者の理解と共存が必要だ。
コロナワクチン開発で、日本は欧米に後れを取った。エネルギー分野でも後塵(こうじん)を拝するという事態は避けたい。
全く同感。政策決定の最大の要は、国家と国民の安全を守ることだ。ワクチンの開発でも、コロナ対応でも金儲けで判断している側面がある。安全保障問題は経済的視点で決定すべきものではない。ワクチン開発は国が責任を持って進めるべき案件だ。
3・11の東日本大震災を目撃した日本以外の国々は、原子力に頼らない自然再生エネルギー開発に舵(かじ)を切った。最も被害を受けた日本が再生エネルギーに向かわなかったのは残念でならない。今から全力で取り組んでもらいたい。
【メモ】父は東大助教授、日立造船(株)社長を務めた木下昌雄氏。母方の祖父は東大教授、東京都知事などを務めた東龍太郎氏という名門の家系だ。海洋工学の専門家は、幾度も日本がエネルギー分野で後れを取ることへの強い危機感を口にした。その言葉に込められた愛国の情が記者の胸を強く打った。