内村鑑三の人と思想を学ぶ

国連NGO主催の研究会が札幌で講演会

混迷する日本の針路を示唆

 国内的に経済分野では景気は上向きつつあるものの、いじめや不登校など教育分野では依然として問題が山積する現代の日本社会。さらに近年では中国や韓国との間に軋轢(あつれき)が生まれ、北東アジアは緊迫の度合いが深まっている。そうした中で北海道平和大使協議会(会長、谷口博北大名誉教授)は、このほど「内村鑑三研究会」を発足させた。明治、大正、昭和を生きた宗教者であり思想家・哲学者でもある内村の人と思想を研究することで未来への日本の指針を探っていく。(湯朝 肇)

講演した西喜悦氏

講演した西希悦氏

 「内村は単なる宗教者ではなかった。彼は札幌農学校時代、水産学を研究し、卒業後も多くの論文を発表している。彼の哲学・思想は極めて科学的体験を通して形づくられている」

 2013年12月21日、札幌市内で開かれた「内村鑑三研究会」の講演で講師の西希悦氏(世界平和のための聖書研究会会長)はこのように述べ、内村鑑三の生涯とその思想について語った。

 内村鑑三がキリスト教に出会ったのは、札幌農学校時代であった。明治9年(1876年)に発足した札幌農学校は官立の学校であったが、教頭のクラーク博士の要請によりキリスト教的な教育が施されていた。内村は直接クラーク博士に出会うことはなかったが、そこでキリスト教に入信し、以後、生涯にわたりキリスト教伝道に邁進することになる。

 西氏はこの日の講演で、教育と愛国心の両面からクラーク博士の感化力と内村の思想について語った。この中で西氏は、クラーク博士が札幌農学校を去る日に語った「Boys be ambitious」に着目した。

内村鑑三研究会に集った参加者たち=昨年12月21日

内村鑑三研究会に集った参加者たち=昨年12月21日

 「これまでボーイズを『少年よ』と訳しているが、少年ではなく、むしろ『息子たちよ』と訳すべきだ」と強調。その上で、同氏は現代の教育界にあって、教師はクラーク博士が農学校の学生たちを自分の息子のように接したように、生徒を「わが息子」と捉えることを基本に教育すべきだというのである。

 一方、愛国心については「内村は二つのJを愛した。JapanとJesusである。彼にとって二つのJを愛することは決して矛盾することではなかった」と指摘し、さらに「彼は生涯、人種差別撤廃と国境撤廃運動に力を注いだが、平和的協調を好む日本の和の精神を尊んでいた。その精神性は神が長い間歴史を通して準備されたものでもあったと確信していた」と表明。

 近年、日本と中国、韓国との間で生まれている軋轢について、単なる偏狭的な愛国心を振りかざすのではなく、内村が「私は日本のため、日本は世界のため、世界はキリストのため、そしてすべては神のために」と語ったように、より深く、より広い視野をもった交流が必要だと訴える。

 一方、会場から近年の日韓関係について「領土や歴史問題でギクシャクしているが、これについて内村の思想から解決に向けどのような示唆が与えられるか」という質問が出た。

 それについて、西氏は内村の韓国人の弟子の一人である金教臣を挙げて次のように説明。「金教臣は7年間内村の下で勉強し、朝鮮に帰国して無教会主義を実践した人物。内村は日本を通して世界に貢献し、さらに神に仕えることを望んだ。金教臣もまた朝鮮を通して世界に貢献することを訴えた。内村も金教臣も『ために生きる』という精神では一致している。こうした精神の共有が両国に必要な時ではないか」と指摘した。

 内村鑑三研究会は今回で2回目。コーディネーターとして出席した名寄市立大学の加藤隆教授は、西氏の語った“感化力”に触れ、「最近は学校教育でも感化力のある教師が少なくなったように思う。教育の根幹は知識をいかに習得させるかということよりも、如何に良い感化を子供たちに与えることができるかどうかにかかっている」と訴えた。

 ちなみに、同研究会が2013年9月14日に開催した1回目の講師には、加藤教授が「内村鑑三の人と思想」をテーマに講演している。

 内村鑑三研究会の主催者である北海道平和大使協議会の谷口会長は、同研究会設立の経緯について「平和大使協議会は国連経済社会理事会の特殊協議資格を有する国連NGOとして平和活動を続けていますが、北海道は内村鑑三という偉大な人物を輩出した地でもあります。とりわけ最近はNHK番組でも彼の思想が取り上げられました。北海道民として彼の生き様や考え方を改めて勉強することは非常に意義深いものがあるとの観点から昨年9月に研究会を立ち上げました」と語った。

 同会としては今後、定期的に講演やセミナーを開催する方針を打ち出している。