外交政策で「強いロシア」誇示
プーチン大統領の圧倒的存在感示した1年
ロシアの2015年は、プーチン大統領の圧倒的な存在感が際立った1年だった。汚職にまみれた政府高官と、それを取り締まるプーチン大統領という構図を政府系マスコミが演出し、経済制裁による景気低迷の中でも大統領の支持率は高止まりしている。シリア空爆や、領空侵犯したロシアの爆撃機を撃墜したトルコに対する厳しい対応も、政権の追い風となっている。(モスクワ支局)
経済危機でも高支持率維持
毎年12月のロシアの恒例行事といえば、プーチン大統領の年次教書演説と、内外記者を招く大規模な会見が挙げられるだろう。今年の年次教書演説は3日、内外記者会見は17日に行われた。おおむね同じ時期に行われたものだが、その様子は対照的だった。
年次教書演説は、その内容や、演説のトーンも抑えられたものであり、センセーショナルな内容を期待していた一部のマスコミをがっかりさせた。
内外記者会見は年次教書とは打って変わり、プーチン大統領から過激な発言が次々と飛び出した。特に注目を集めたのはトルコ問題。シリア空爆作戦中にトルコがロシアの爆撃機を撃墜したことを「敵対行為」と改めて非難し、ロシアとトルコとの「関係改善の見通しはない」と言い切った。
また、シリア和平の焦点であるアサド大統領の処遇について「国民自身が決めるべきだ」と述べ、欧米などの早期退陣論を批判した。
これら発言は特に外国のマスコミに大きく取り上げられた。一方、クレムリンに近いメディアがこぞって報じたのは、プーチン大統領が会見の冒頭で語った「経済危機のピークは越えた」との発言だった。
ウクライナ危機を受け欧米が踏み切った対露経済制裁は、原油価格の下落で窮地に陥ったロシア経済に、さらなる追い打ちをかけている。景気の行方は国民の最大の関心事の一つであり、クレムリンに近いメディアは「ピークは越えた」との発言で、国民の不満をなだめようとした形だ。
しかし、ロシアの多くの人々は、「経済危機のピークは越えた」とは感じていないようだ。全ロシア世論調査センターの12月の調査では、以下のような結果が出ている。
「1年後の生活は今よりも悪くなっている」と答えたのは23%で、11月調査の20%から3ポイント増加した。一方で「1年後の生活は今よりも良くなっている」との回答は27%で、前月の29%から2ポイント減少した。「変わらない」との回答は36%で、前月の40%から4ポイント下落した。
「生活が苦しい」との回答は24%で、前月の19%から5ポイントの増加、「将来を楽観している」との回答は40%で、前月の49%から9ポイント減少した。悲観的な意見が占める割合は、今年一年間で最も多くなった。
この結果について同センターのフョードロフ所長は、次のように述べた。
ルーブルの下落などの影響で、国民の実収入が10%減少した。トンネルの出口が見えない状況が、国民を疲れさせている。
小売業界は12月、一年を通じて最も多くの売上が期待できるのだが、今年の年末商戦は期待外れに終わった。年末年始を旅行先で過ごす人々も減っている。
景気低迷が市民の生活を圧迫する一方で、プーチン大統領の支持率は高止まりしている。全ロシア世論調査センターによると、プーチン大統領の支持率は10月に、史上最高の89・9%を記録した。これまでの記録は6月の89・1%。10月以降は支持率が若干下がった極めて高い水準にあることには違いない。
ロシアのメディアにおけるプーチン大統領の存在感は圧倒的である。クレムリンに近いメディアの取り上げ方は、汚職にまみれた政治家や官僚と、それに罰を与える大統領との構図となっており、政治への不満がかえってプーチン大統領の人気を高める形だ。
そして、プーチン大統領の人気を支えるのが外交政策だ。多くのロシア人が「歴史的にロシアのもの」と考えるウクライナのクリミア半島のロシア編入は、彼らを熱狂させた。「イスラム(IS)国」を標的としたシリア空爆も、「強いロシア」を示す出来事であり、プーチン大統領の指導力に支持が集まった。エジプト・シナイ半島で10月31日、ロシアの旅客機が墜落し乗員乗客224人全員が死亡した事件は、シリア空爆の中で起こった事件であり、本来ならばプーチン大統領への批判が高まってもおかしくはない。
ロシア政府は当初、「テロ」とは認めず歯切れの悪い説明に終始したが、11月13日にパリ同時多発テロが起きたことを受け、墜落事故を「テロ」と断定。国際社会と連携してISに対抗する構図を作り出し、プーチン大統領は求心力を高めた。
シリア空爆の中で起きたトルコによるロシア軍機撃墜も、「トルコがイスラム国から原油を買っていた」との情報を流し、死亡した軍機のパイロットを英雄として処することで、トルコに厳しい姿勢で臨む大統領の人気を高める結果となった。
2015年のロシアは、プーチン大統領に始まり、プーチン大統領に終わった年と言えるだろう。











