臆測乱れ飛ぶ金正男氏殺害
北の犯行濃厚も動機は不明
今月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で起きた北朝鮮の最高指導者、金正恩労働党委員長の異母兄、金正男氏の殺害事件。現地警察の捜査が進むにつれ、犯行は北朝鮮が背後で組織的に行った疑いが濃厚になっているが、肝心の殺害理由は依然として謎に包まれたままだ。なぜ正男氏は殺害されなければならなかったのか諸説入り乱れている。(ソウル・上田勇実)
脅威の排除?亡命を阻止?
次兄・正哲氏の動向も関心
これまで浮上している殺害理由のうち比較的説得力があるのは金委員長の潜在的敵対勢力として常に命を狙われていたというもの。韓国の情報機関、国家情報院は「5年前から暗殺を狙っていた」との見解を示している。
また同院シンクタンクの元所長を務めた南成旭(ナムソンウク)・高麗大学教授は「日米韓を中心とする西側諸国では北朝鮮の核・ミサイルに対抗する手段として柔軟な考え方の持ち主である正男氏にレジームチェンジさせる案が浮上していた」と指摘している。
時折、日本や韓国のメディアを通じ伝わっていた正男氏は気さくで人懐っこく、権力欲を内に秘めているようには見えなかった。しかし、本国の独裁体制とは距離を置く言動や居住地マカオで中国当局から警備されるなど、金委員長にとって気になる存在だったのは想像に難くない。
特に中国式改革・開放の理解者といわれ、正男氏の後継者擁立を考えていた可能性が指摘されていた叔父の張成沢(チャンソンテク)氏が処刑されたことで、正男氏殺害は時間の問題だったと見る向きもある。
次に挙がっているのは亡命阻止説。殺害場所が人目や防犯カメラが多く、証拠や容疑者の身元が判明しやすい空港だったことと関連し、ある専門家は「あの日、あの場所で決行しなければならなかった切迫した事情、例えば亡命を図ろうとしたことが発覚し、それを阻止した可能性は十分ある」と述べた。
殺害数日前に韓国週刊誌「週刊京郷」が報じた正男氏亡命説もその真偽にかかわらず金委員長を刺激するに十分な内容だったと見る人もいる。
同誌は北朝鮮消息筋の話を引用し、「李明博(イミョンバク)政権だった2009年、金正男亡命がかなり具体的に計画されたが、任太煕(イムテヒ)・青瓦台(大統領府)秘書室長(当時)がシンガポールで北朝鮮と秘密接触したことで南北関係改善への期待が高まり、中断された」と伝えた。
亡命と関連し脱北者たちが本国の独裁政権打倒を目指し、海外に亡命政府を樹立しようと計画、それに正男氏が中心人物の一人に担ぎ出されようとして殺害されたとする見方もあるが、真偽は不明だ。
このほか韓国などに定住する高位脱北者たちが北朝鮮民主化などを求めてさまざまな活動をしている中、その気になればいつでも殺害できるということを正男氏殺害を通し警告したのではないかとする見方、父、金正日総書記の秘密資金を本国に返還するよう求められ、正男氏がこれを拒んだために殺害されたという主張もみられる。
殺害理由は諸説紛々でいずれも推測の域を出ないが、一つはっきりしているのは北朝鮮の体制上、金委員長の許可なしに正男氏殺害はあり得ないということだ。金委員長自身が何らかの理由で自らの権力維持に兄の存在が邪魔になると感じ、殺害を指示したとみられる。
ところで今回の正男氏殺害でもう一人の兄、金正哲(キムジョンチョル)氏にも改めて関心が集まりそうだ。
正哲氏は英国の有名ギタリスト、エリック・クラプトンの大ファンで、自らコンサート会場に足を運んだり、関連グッズを買い付けたりするなど、権力に無関心とみられてきた。
ところが、一昨年の情報として「正恩氏が元山特閣(金委員長専用の別荘)で随行してきた側近全員を退座させた上で正哲氏、妹の与正(ヨジョン)氏と兄妹3人水入らずで密談を交わした」(本紙昨年8月8日付既報)ことが分かっている。
正男氏とは異なり、正哲氏の母は金委員長と同じ故高英姫(コヨンヒ)氏。また北朝鮮国内に居住し続けているとみられ、金委員長にとって目の届く場所にいる次兄が今すぐ脅威になるとは考えにくいが、骨肉の争いが頻繁に繰り返された朝鮮王朝の歴史もある。正恩・正哲兄弟の力関係にも注目する必要があるかもしれない。