金正恩氏、身元隠し陸軍で3年間服務

 北朝鮮の最高指導者、金正恩・朝鮮労働党委員長が父、金正日総書記の後継者に正式決定する直前の3年間、金総書記の指示で韓国との軍事境界線に近い最前線部隊で身元を隠したまま一般兵として服務していたことが分かった。北朝鮮情報筋が19日、本紙に明らかにした。正恩氏の軍服務が明らかになるのは初めて。金総書記は、海外留学や国内エリート大学での知識習得や人脈作りだけでなく、底辺の軍隊生活まで「帝王学」の一環として体験させ、正恩氏を育てようと考えた可能性がある。(ソウル・上田勇実)

05年から「帝王学」の一環か

 情報筋が最近、韓国に入国した北朝鮮保衛司令部将校(中尉)出身の脱北者(30代後半)の証言を元に伝えたところによると、正恩氏が入隊したのは2005年。金総書記は秘密裏に入隊させるため平壌に居住する大学生を対象に志願者を募り、そこに正恩氏を紛れ込ませ入隊させた。

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 正恩氏は入隊した当時、死亡した対韓国工作員の息子に身元を偽装し、新兵の訓練を経て軍事境界線が近い江原道平康(ピョンガン)郡の5軍団直属歩兵部隊傘下の独立中隊に配属された。同中隊は党幹部を養成する万景台革命学院の出身者など特権層の息子のほか、一部には一般労働者の子供も含まれていた。

 入隊時の正恩氏はすでに肥満体で動作が鈍く、最初は他の兵士たちとの共同生活に適応できなかったが、前向きな姿勢で服務した結果、訓練にも慣れ、上官の指示によく従ったという。

 ただ、上官のうち小隊長から「豚みたいに腹が出ていて火の起こし方も分からず、何もできないやつ」などと言われ、無視されたりいじめられたりしたため、正恩氏は反感を抱き、小隊長は後に強制除隊させられた上、政治犯収容所に送られたという。

金正恩

12日、北朝鮮の弾道ミサイル発射の様子を見守る金正恩朝鮮労働党委員長(中央)(朝鮮労働党機関紙の労働新聞電子版より・時事)

 正恩氏が所属した中隊は近くに小型発電所の建設現場があり、鉄鋼材の供給が義務付けられていた。中隊長は正恩氏の親戚を通じて鉄鋼材を調達するため一緒に平壌へ行った際、移動中に金総書記が送ったベンツが迎えに来て、そのまま特閣と呼ばれる金総書記一族の保養所に到着し、金総書記が直接出迎えたことで正恩氏の身元が判明。これが正恩氏除隊のきっかけとなった。

 これまでスイス留学を終えて00年に帰国した後、正式に後継者に決まった09年まで正恩氏の動向は高級将校を養成する金日成軍事総合大学などに通ったこと以外はほとんどベールに包まれていた。一部では母、高英姫氏死亡(04年)で江原道・元山に事実上の幽閉状態に置かれたとする情報もあった。

 正恩氏の軍服務経験は最高指導者自ら率先垂範したものとして年齢が若いことや経験不足を補い、軍掌握に役立っている可能性がある。

食糧難で農場から盗みも

 情報筋が明らかにした正恩氏の軍生活は細かい内容にまで及んでいる。

 金正恩氏が勤務した独立中隊は他部隊と同様に食糧事情が悪く、正恩氏は分隊長と共に農場からジャガイモなどの農作物を盗んで食べたこともあったという。

 正恩氏の上官のうち中隊長と副中隊長は、正恩氏をいじめた小隊長とは対照的に正恩氏に丁寧に接した。正恩氏を「俳優のようにカッコイイ」と褒め、除隊後は有名な俳優になれと激励したこともあったという。

 また農民出身の分隊長は盗んできたジャガイモをこっそり正恩氏に渡したり、将来の希望は平壌の大学に行くことだと正恩氏に打ち明けた。

 正恩氏に親切に接した上官たちは除隊後、いずれも昇進したという。

 中隊長は金日成軍事総合大学の歩兵班に入学後、同大学の教員を経て11年に518訓練所(旧620歩兵軍団)の作戦部長(大佐)に抜擢(ばってき)された。

 また副部隊長は金日成高級党学校を経てある郡の党責任書記に昇進。分隊長は訳も分からないまま金日成総合大学に入学したという。息子が軍服務中に受けた恩義を返そうとする金総書記の一面が垣間見える。