忠清待望論


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 “政界の風雲児”と呼ばれるほど波乱万丈の人生を過ごしてきた金鍾泌(JP)元首相の最後の夢は意外だった。「私は男としてやる価値があることは全てやったし、行ってみる価値があるところも全て行った。妻の膝枕で横になって死ぬのが最後の望みだ」。首相を務めた金大中(DJ)政府と袂を分かった後とはいえ依然政界に身を置いていたので、私的な席でその話を聞いて“ロマンチストらしい”と感じた。

 3金時代の一角をなすJPは権力のナンバー2にとどまった。主導的に加担した革命政府でも、議員内閣制を掲げ3党統合した盧泰愚・金泳三政府でも権力の中心にはなれなかった。「我々が(愚かな)田舎っぺか?」。1995年、自民連を結党した彼は“忠清道田舎っぺ論”の力で地方選挙や15代総選挙で旋風を起こした。大統領には力不足だったが、共同政府を生み出すのに成功した。97年のDJP連合以降、忠清は大統領を目指す嶺南(半島東南部)、湖南(同西南部)地域の政治家の求愛の対象となった。

 そんな忠清からぼつぼつ「いつまでも介添え役ばかりでいいのか」という声が出ている。ちょうど忠清道陰城出身の潘基文国連事務総長が各種世論調査で2017年大統領選挙の支持率1位を走っている。大統領選挙への挑戦を示唆したことはないが、「絶対に出ない」とはっきり否定したこともない。先の総選挙で与党セヌリ党が惨敗、大統領候補者たちが壊滅状態となり、彼の存在感はいっそう大きくなった。今月末の済州フォーラム、G7主要国首脳会議に参加するため韓国と日本を訪問する。今から潘事務総長が誰と会って何を話すのか、関心が集まっている。それでも彼の出馬を楽観する政治家、専門家はあまりいない。外交官特有の慎重さ、名誉を重視する性向などを考えると、与党の“救援投手”を自任する可能性は小さいと見られている。

 セヌリ党の鄭宇沢議員が公に“忠清待望論”に火をつけた。4選(清州上党選出)の彼は昨日、あるラジオのインタビューで「忠清道民は今こそ忠清道が政治の主軸になればいいという認識が強い」と述べ、大統領選挙に挑戦する意向を表明した。忠清地域の人口が湖南より多く、議席数もTK(大邱・慶尚北道)より多いので、旗を掲げる時がきたというのだ。そうだろうか。嶺・湖南地域が“問答無用”で集中票を投じる時、忠清は全国の投票結果に近い均衡感覚を見せてきた。政党よりは人物をみるという意味だ。“忠清政権”だけでは忠清の民心を得ることはできない。

(5月14日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。